2008年05月27日
ギターアンサンブル「つばさ」16
火曜日、「つばさ」練習日です。
先週に続いて、コジューロー以外の方に進行役をして頂きました。
厳粛なるジャンケンにより、今日はTさんが進行役となりました。
で、内容ですが・・、先ずはコジューローの反省から。
口を出し過ぎました。
ご免なさい。
せっかく主導権を渡したのですから、良くも悪くも進行役に任せることで、その人の糧になると信じてしたことです。中途半端に口を出しては何にもなりません。
(コジューロー以外の方は、遠慮なく口を出して下さい。それが考える元になります。コジューローが口を出すと、それは考えの元とはならず、決定となってしまう恐れがあります。)
進行役が仕切って上手くいかなくても、それはそれで今は良いのです。
失敗も貴重なデーターであり、沢山のデーターがあって初めて成功への道筋も見えてきます。
アンサンブルの練習では、何が必要で、何が不要か。
どういう方法が効率が良く、どういう練習が無駄か、そのうち解ってきます。
さて、この解るということには、段階があります。
よく、解ると出来るは違うと言いますが、その通りです。
解ったところで、出来なければ、解った事に何の意味もありません。
では、解るを出来るにするにはどうしたら良いのでしょうか。
コジューローは「つばさ」の練習の中で、メンバーの皆さんに、色んなお話しや提案、また、おこがましいアドバイスまで、させて頂いてきました。
メンバーの皆さんの頭の片隅に、既にインプットはされていると思います。
(故意に消去はされていないと信じます。)
しかしアウトプット、すなわち充分に活用されているようには見えません。
何故でしょうか?
(メンバーの皆さんを責めているのでは、けっしてありませんので良く吟味して下さいね。)
それは、コンピュータで例えるならば、インプットしてハードディスクに記録はしたものの、メインメモリーに呼び出される事が無い為に、活用する事がないのです。
人間の意識はメインメモリーの中だけで働き、ハードディスク(潜在意識)には、そこに在ったとしても、認識することは出来ないのです。
ではどうしたらハードディスク(潜在意識)の中のものを、メインメモリー(認識可能な意識)に呼び出す事ができるでしょうか。
ご自分の心の中(メインメモリー)を覗いて見て下さい。
人間は自分が心から納得できる事のみをメインメモリーに置くようです。
心から納得・・心から〜と言うのは、メインメモリーからということで、そこには自分の信ずるもののみあるのですから、信じて疑いなくという意味ですね。
心の中を覗くと、そこには信じていない事も在ります。でもそれには、「信じていない」「嘘っぱち」というたぐいのラベルが貼られています。すなわち、これは嘘であるとか、疑わしいということを信じている訳で、メインメモリーに在ります。
ですから、活用できるようにメインメモリーに置きたいならば、心から納得すること、そのことが腑に落ちることが必要になります。逆に腑に落ちることが出来れば、いやでもそれはメインメモリーに置かれ、自分の物として活用されていきます。
「解る」を「出来る」にする段階、隔たりのある「解る」と「出来る」の間に、「腑に落ちる」というステップを置くことで、到達する事ができます。
「解る」「腑に落ちる」「出来る」
コンピュータ風に言い換えれば、
「インプット」「ロード」「ラン」
(「入力」「読み込み」「実行」)
話が長くなりましたが、
この「腑に落ちる」ための読み込み作業が、合わせ練習の進行役をやってみる、ということです。
コジューローも、アンサンブルの練習を仕切るにあたって、色々考え、試し、過去のレッスンや経験も総動員して悩みながら進めてきました。
その中で、沢山勉強させて頂き、新たに身につけたこと、知識だけだったものがロード、ラン出来た事が沢山あります。
合わせ練習の進行役は、かなり大変な役割ではありますが、その大変さに余りある価値があります。
メンバーの皆さん、どうぞ頑張って取り組んでみて下さい。
(でもまあ、お気楽にね。)
先週に続いて、コジューロー以外の方に進行役をして頂きました。
厳粛なるジャンケンにより、今日はTさんが進行役となりました。
で、内容ですが・・、先ずはコジューローの反省から。
口を出し過ぎました。
ご免なさい。
せっかく主導権を渡したのですから、良くも悪くも進行役に任せることで、その人の糧になると信じてしたことです。中途半端に口を出しては何にもなりません。
(コジューロー以外の方は、遠慮なく口を出して下さい。それが考える元になります。コジューローが口を出すと、それは考えの元とはならず、決定となってしまう恐れがあります。)
進行役が仕切って上手くいかなくても、それはそれで今は良いのです。
失敗も貴重なデーターであり、沢山のデーターがあって初めて成功への道筋も見えてきます。
アンサンブルの練習では、何が必要で、何が不要か。
どういう方法が効率が良く、どういう練習が無駄か、そのうち解ってきます。
さて、この解るということには、段階があります。
よく、解ると出来るは違うと言いますが、その通りです。
解ったところで、出来なければ、解った事に何の意味もありません。
では、解るを出来るにするにはどうしたら良いのでしょうか。
コジューローは「つばさ」の練習の中で、メンバーの皆さんに、色んなお話しや提案、また、おこがましいアドバイスまで、させて頂いてきました。
メンバーの皆さんの頭の片隅に、既にインプットはされていると思います。
(故意に消去はされていないと信じます。)
しかしアウトプット、すなわち充分に活用されているようには見えません。
何故でしょうか?
(メンバーの皆さんを責めているのでは、けっしてありませんので良く吟味して下さいね。)
それは、コンピュータで例えるならば、インプットしてハードディスクに記録はしたものの、メインメモリーに呼び出される事が無い為に、活用する事がないのです。
人間の意識はメインメモリーの中だけで働き、ハードディスク(潜在意識)には、そこに在ったとしても、認識することは出来ないのです。
ではどうしたらハードディスク(潜在意識)の中のものを、メインメモリー(認識可能な意識)に呼び出す事ができるでしょうか。
ご自分の心の中(メインメモリー)を覗いて見て下さい。
人間は自分が心から納得できる事のみをメインメモリーに置くようです。
心から納得・・心から〜と言うのは、メインメモリーからということで、そこには自分の信ずるもののみあるのですから、信じて疑いなくという意味ですね。
心の中を覗くと、そこには信じていない事も在ります。でもそれには、「信じていない」「嘘っぱち」というたぐいのラベルが貼られています。すなわち、これは嘘であるとか、疑わしいということを信じている訳で、メインメモリーに在ります。
ですから、活用できるようにメインメモリーに置きたいならば、心から納得すること、そのことが腑に落ちることが必要になります。逆に腑に落ちることが出来れば、いやでもそれはメインメモリーに置かれ、自分の物として活用されていきます。
「解る」を「出来る」にする段階、隔たりのある「解る」と「出来る」の間に、「腑に落ちる」というステップを置くことで、到達する事ができます。
「解る」「腑に落ちる」「出来る」
コンピュータ風に言い換えれば、
「インプット」「ロード」「ラン」
(「入力」「読み込み」「実行」)
話が長くなりましたが、
この「腑に落ちる」ための読み込み作業が、合わせ練習の進行役をやってみる、ということです。
コジューローも、アンサンブルの練習を仕切るにあたって、色々考え、試し、過去のレッスンや経験も総動員して悩みながら進めてきました。
その中で、沢山勉強させて頂き、新たに身につけたこと、知識だけだったものがロード、ラン出来た事が沢山あります。
合わせ練習の進行役は、かなり大変な役割ではありますが、その大変さに余りある価値があります。
メンバーの皆さん、どうぞ頑張って取り組んでみて下さい。
(でもまあ、お気楽にね。)