2009年07月02日
彦根城(その2)
「彦根城」の記事を書いて《続く》としておきながら、早一ヶ月経ってしまいました。今回はその続き(その2)です。お忘れになってしまった方は(その1)をもう一度お読みになって下さい。⇒彦根城(その1)
さて、行列でじわじわと進みながら待つこと40分、ようやく天守に入ることができました。 待ち時間の間、この美しい彦根城天守の外観を堪能しました。
三層三重の天守です。
先ず屋根ですが、「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」が多様に配置されています。そして2階と3階に彦根城の特徴でもある「花頭窓」、さらに3階に高欄付きの「廻縁」が巡らされるなど、変化に富んだ美しい姿です。
さて、行列でじわじわと進みながら待つこと40分、ようやく天守に入ることができました。 待ち時間の間、この美しい彦根城天守の外観を堪能しました。
三層三重の天守です。
先ず屋根ですが、「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」が多様に配置されています。そして2階と3階に彦根城の特徴でもある「花頭窓」、さらに3階に高欄付きの「廻縁」が巡らされるなど、変化に富んだ美しい姿です。
建物構造は、通し柱のない各階ごとに積み上げる方式です。もともと5階4重の天守を移築したもので、大津城の天守を移築した可能性もあると考えられています。
中に入ると、通し柱をさけた造りや湾曲した太い梁、急な階段、隠し狭間など、お城ファンにとっては見どころ満載です。
←西の丸から見る天守
天守を出ると、本丸広場では彦根城のキャラクター「ひこニャン」のショーが始まっていました。GWとあって大変な人手です。
天守の南側を回り西の丸に出ます。西の丸はかなり広く、その一番はずれに西の丸三重櫓があります。
←西の丸三重櫓(西の丸側から)
この三重櫓は、北側と西側にそれぞれ1階の続櫓を「く」の字に付設しています。内部を特別公開していましたので入ってみました。入れたのは北側続
櫓のみで三重櫓には登れませんでした。中はかなりの広さです。
←西の丸三重櫓とその北側の堀切
この三重櫓、小谷城の天守を移築したとの伝えもありますが、(このブログ小谷城でもそう書きました。)昭和30年代に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認できなかったそうです。この解体修理で、部材の8割近くが江戸時代後期のものであることが確認されました。要するに、今日見ることの出来る三の丸三重櫓は、築城当初ではなく江戸時代後期の姿ということでありますね。
西の丸三重櫓を北側に迂回して堀切を渡ります。ここから長い階段状のダラダラ道を下ると内堀沿いの道に出ます。ここからは土塁で内堀は見えません。左へ行くと山崎郭ですが、今回はそちらへは行かず、右へ行き黒門跡から出て、内堀を渡りました。
←黒門跡
黒門から内堀を渡った向かいにある、「楽々園」と「玄宮園」を見学しました。
名勝といわれる「楽々園」と「玄宮園」
は、ともに彦根4代藩主井伊直興(いいなおおき)により建立された彦根藩の下屋敷で、欅御殿(けやきごてん)と呼ばれていました。 現在は建物部分を「楽々園」、庭園部分を「玄宮園」と呼び分けています。
←玄宮園
ということで、彦根城を2回に渡ってお届けしました。
山崎郭や大手門、彦根城博物館、
埋木舎など、今回時間の関係で見れなかった所もあり、また来てみたいなと思う城です。
←日本100名城スタンプ
「彦根城」
彦根城(その1)
長浜城
小谷城
GW旅行 琵琶湖 城めぐりの旅
【お城】カテゴリー 内部リンク
中に入ると、通し柱をさけた造りや湾曲した太い梁、急な階段、隠し狭間など、お城ファンにとっては見どころ満載です。
←西の丸から見る天守
天守を出ると、本丸広場では彦根城のキャラクター「ひこニャン」のショーが始まっていました。GWとあって大変な人手です。
天守の南側を回り西の丸に出ます。西の丸はかなり広く、その一番はずれに西の丸三重櫓があります。
←西の丸三重櫓(西の丸側から)
この三重櫓は、北側と西側にそれぞれ1階の続櫓を「く」の字に付設しています。内部を特別公開していましたので入ってみました。入れたのは北側続
櫓のみで三重櫓には登れませんでした。中はかなりの広さです。
←西の丸三重櫓とその北側の堀切
この三重櫓、小谷城の天守を移築したとの伝えもありますが、(このブログ小谷城でもそう書きました。)昭和30年代に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認できなかったそうです。この解体修理で、部材の8割近くが江戸時代後期のものであることが確認されました。要するに、今日見ることの出来る三の丸三重櫓は、築城当初ではなく江戸時代後期の姿ということでありますね。
西の丸三重櫓を北側に迂回して堀切を渡ります。ここから長い階段状のダラダラ道を下ると内堀沿いの道に出ます。ここからは土塁で内堀は見えません。左へ行くと山崎郭ですが、今回はそちらへは行かず、右へ行き黒門跡から出て、内堀を渡りました。
←黒門跡
黒門から内堀を渡った向かいにある、「楽々園」と「玄宮園」を見学しました。
名勝といわれる「楽々園」と「玄宮園」
は、ともに彦根4代藩主井伊直興(いいなおおき)により建立された彦根藩の下屋敷で、欅御殿(けやきごてん)と呼ばれていました。 現在は建物部分を「楽々園」、庭園部分を「玄宮園」と呼び分けています。
←玄宮園
ということで、彦根城を2回に渡ってお届けしました。
山崎郭や大手門、彦根城博物館、
埋木舎など、今回時間の関係で見れなかった所もあり、また来てみたいなと思う城です。
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長浜城
小谷城
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