2009年07月09日
安土城 (その2)
前回(その1)では実際に安土城のあった安土山に登り、安土城跡の見聞録を書きました。天主台の礎石群を見たとき、ここにあの信長の夢をかけた安土城天主閣があったのだ、と感慨無量となりました。
5層7階の荘厳な安土城天主閣はもちろん現在実物は在りません。しかし、この目でそれを見ることが出来る場所があったのです。
その場所とは、「安土城天主信長の館」と「安土町城郭資料館」です。
今回はその2ヶ所で見たものをご紹介します。
前回記事は⇒安土城(その1)
←安土城最上階
(「安土城天主信長の館」にて)
5層7階の荘厳な安土城天主閣はもちろん現在実物は在りません。しかし、この目でそれを見ることが出来る場所があったのです。
その場所とは、「安土城天主信長の館」と「安土町城郭資料館」です。
今回はその2ヶ所で見たものをご紹介します。
前回記事は⇒安土城(その1)
←安土城最上階
(「安土城天主信長の館」にて)
さてここで一言、天主閣の文字についてです。通常お城の「てんしゅ」は「天守」と書きます。ですが信長の安土城のみは「天主」と書くのです。
これが何を意味するか。
信長の野望はPCゲームの名前ですが、魔王信長と呼ばれ、昨今の信長はそちらのイメージでメディアなどでも取り扱われる事が多くなっています。
コジューローの子供のころの信長は、時代劇などでも、才気あふれ猛々しくも大変優しい面も持ち合わせた武将に描かれていました。
はたして真実の信長はいかに?? いずれにしても魅力あふれる人物に相違ありませんが。
さて、では先ずは「安土城天主信長の館」です。 安土町の文芸の郷と
いう所にあります。
1992年のセビリヤ万国博覧会に出展された、安土城天主の5,6階部分の原寸大復元模型が、館内に展示されています。
←5階部分内部
←6階部分内部
安土城は5層7階の天主閣ですが、石垣の中を地下1階としますので、地上は6階が最上階となります。
愛知産業大学学長の内藤昌氏が、安土町立城郭資料館のパンフレットの中で、安土城各階の解説文を載せていますので、5,6階部分について以下に引用します。
---(ここから)---
5階は、対辺間距離5間の正八角形平面で、柱や天井はすべて朱に塗られ、ちょうど法隆寺夢殿のような建築構成になっている。そこは、昇り龍や降り龍を彫刻して、地獄から天国にいたる仏教宇宙観を示している。外陣に面して地獄絵を描き、そして内陣には釈門十六弟子図・釈尊成道説法図があり、さらに天井には天人影向図を極彩色で飾っている。
これをうけての最上階(石垣上6階)は、3間四方の平面で、さらに豪壮華麗な意匠である。金閣のごとく金色でまばゆいばかりの室内に、中国創世記の帝王=三皇・五帝それに老子・孔子の像や商山四晧・七賢図など、道教・儒教で説く治国平天下の思想を表した金碧障壁画が狩野永徳の豪筆によって描かれている。
以上の5・6階にみる建築意匠は、終極には日本の宗教・思想を統一した「天道思想」を表現したものである。縮尺7分の1のひな形は、その室内構成を実物同様の仕様で、つぶさに復原している。天下統一にかけた信長の強い意志をみることができよう。
---(ここまで)---
この「信長の館」の原寸大模型が、全くここに書かれている通りに作られているかどうかは確認していません。なぜならこのパンフレットは、次に行った「安土町城郭資料館」で手に入れたからです。
兎に角この「信長の館」は、見るには近すぎてデカ過ぎて天主閣としてのイメージがつかみ辛いのです。もちろん実物大の迫力は凄いインパクトではあるのですが。
ということで、次に行ったのが「安土町城郭資料館」です。
こちらはJR安土駅の直ぐ前にあります。
ここに展示されているのが、安土城天主の20分の1のひな形と上記引用の中にある石垣上5,6階部分の7分の1のひな形です。
ですがここでコジューローは重大なミスを犯しました。この7分の1のひな形を見損なったのです。その存在を知ったのは、実は小田原へ帰宅後でした。帰りがけにここで買い求めたパンフレットを、自宅へ帰ってから見て発見した
のです。(涙)
さほど広くもない展示場のどこに置いてあったのでしょう。20分の1のひな形がでーんと置かれた1階の他、中2階が2ヶ所ありました。この20分の1の模型を上から見ようと、片方の中2階へは上がったのですが、もう一方には上がらなかった気がします。きっとそちらにあったのかも知れません。
ですが、この20分の1の模型を見れたことには大満足しています。
閉館間際に入館したにも係わらず、内部もキチンと見せて頂きました。
そうです、この天主閣は機械仕掛けで2つに分かれ内部構造まで全部見ることができるのです。そしてそのように内部までキチンと作られています。
焼けてなくなってしまったのに、どうしてそんな精巧な模型がつくれたのでしょうか。安土城の建築的な構造は「信長公記」により一応は知られていたそうなのですが、例のパンフレットによる
と、近年加賀藩作事方御大工池上家文書中に「天守指図」なる新史料が発見され、それが技術的な具体性をもっているだけに、改めて天主台址の実測をおこなうことによって、復原的考察が可能になった、とのことです。
そしてこの実物20分の1のひな形が出来上がったのですね。
この資料館には、狩野永徳によって描かれたという、安土城内部の障壁画のレプリカや、安土山、観音寺山の模型なども展示されています。小さいながらかなり楽しめる資料館です。もう一度行ってみたいと思いますし、ここで知識を得てから「信長の館」へ行くと、また見方が変るかも知れません。
以上、2回に渡り「安土城」をお届けしました。
長々とお付き合いありがとうございました。
←日本100名城スタンプ
「安土城」
(「信長の館」にて押しました。)
安土城(その1)
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これが何を意味するか。
信長の野望はPCゲームの名前ですが、魔王信長と呼ばれ、昨今の信長はそちらのイメージでメディアなどでも取り扱われる事が多くなっています。
コジューローの子供のころの信長は、時代劇などでも、才気あふれ猛々しくも大変優しい面も持ち合わせた武将に描かれていました。
はたして真実の信長はいかに?? いずれにしても魅力あふれる人物に相違ありませんが。
さて、では先ずは「安土城天主信長の館」です。 安土町の文芸の郷と
いう所にあります。
1992年のセビリヤ万国博覧会に出展された、安土城天主の5,6階部分の原寸大復元模型が、館内に展示されています。
←5階部分内部
←6階部分内部
安土城は5層7階の天主閣ですが、石垣の中を地下1階としますので、地上は6階が最上階となります。
愛知産業大学学長の内藤昌氏が、安土町立城郭資料館のパンフレットの中で、安土城各階の解説文を載せていますので、5,6階部分について以下に引用します。
---(ここから)---
5階は、対辺間距離5間の正八角形平面で、柱や天井はすべて朱に塗られ、ちょうど法隆寺夢殿のような建築構成になっている。そこは、昇り龍や降り龍を彫刻して、地獄から天国にいたる仏教宇宙観を示している。外陣に面して地獄絵を描き、そして内陣には釈門十六弟子図・釈尊成道説法図があり、さらに天井には天人影向図を極彩色で飾っている。
これをうけての最上階(石垣上6階)は、3間四方の平面で、さらに豪壮華麗な意匠である。金閣のごとく金色でまばゆいばかりの室内に、中国創世記の帝王=三皇・五帝それに老子・孔子の像や商山四晧・七賢図など、道教・儒教で説く治国平天下の思想を表した金碧障壁画が狩野永徳の豪筆によって描かれている。
以上の5・6階にみる建築意匠は、終極には日本の宗教・思想を統一した「天道思想」を表現したものである。縮尺7分の1のひな形は、その室内構成を実物同様の仕様で、つぶさに復原している。天下統一にかけた信長の強い意志をみることができよう。
---(ここまで)---
この「信長の館」の原寸大模型が、全くここに書かれている通りに作られているかどうかは確認していません。なぜならこのパンフレットは、次に行った「安土町城郭資料館」で手に入れたからです。
兎に角この「信長の館」は、見るには近すぎてデカ過ぎて天主閣としてのイメージがつかみ辛いのです。もちろん実物大の迫力は凄いインパクトではあるのですが。
ということで、次に行ったのが「安土町城郭資料館」です。
こちらはJR安土駅の直ぐ前にあります。
ここに展示されているのが、安土城天主の20分の1のひな形と上記引用の中にある石垣上5,6階部分の7分の1のひな形です。
ですがここでコジューローは重大なミスを犯しました。この7分の1のひな形を見損なったのです。その存在を知ったのは、実は小田原へ帰宅後でした。帰りがけにここで買い求めたパンフレットを、自宅へ帰ってから見て発見した
のです。(涙)
さほど広くもない展示場のどこに置いてあったのでしょう。20分の1のひな形がでーんと置かれた1階の他、中2階が2ヶ所ありました。この20分の1の模型を上から見ようと、片方の中2階へは上がったのですが、もう一方には上がらなかった気がします。きっとそちらにあったのかも知れません。
ですが、この20分の1の模型を見れたことには大満足しています。
閉館間際に入館したにも係わらず、内部もキチンと見せて頂きました。
そうです、この天主閣は機械仕掛けで2つに分かれ内部構造まで全部見ることができるのです。そしてそのように内部までキチンと作られています。
焼けてなくなってしまったのに、どうしてそんな精巧な模型がつくれたのでしょうか。安土城の建築的な構造は「信長公記」により一応は知られていたそうなのですが、例のパンフレットによる
と、近年加賀藩作事方御大工池上家文書中に「天守指図」なる新史料が発見され、それが技術的な具体性をもっているだけに、改めて天主台址の実測をおこなうことによって、復原的考察が可能になった、とのことです。
そしてこの実物20分の1のひな形が出来上がったのですね。
この資料館には、狩野永徳によって描かれたという、安土城内部の障壁画のレプリカや、安土山、観音寺山の模型なども展示されています。小さいながらかなり楽しめる資料館です。もう一度行ってみたいと思いますし、ここで知識を得てから「信長の館」へ行くと、また見方が変るかも知れません。
以上、2回に渡り「安土城」をお届けしました。
長々とお付き合いありがとうございました。
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「安土城」
(「信長の館」にて押しました。)
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