2009年07月11日
観音寺城
今年の5月GWに行った、琵琶湖周辺の城及び城跡の記事ですが、残すところ後2つの城となりました。
この時の旅行全般に関しては、そちらの記事を見て下さい。
⇒GW旅行 琵琶湖 城めぐりの旅
では、小谷城、長浜城、彦根城、安土城に続く第5弾。
「観音寺城」です。
「観音寺城」は、日本五大山城の一つで当然山の上にあります。ですが実はその城跡には行っていないのです。
この日、彦根城、安土城、観音寺城の3つの城に行く予定でした。が、先の2つの登城を終えた時点で既に夕刻となってしまいました。
←石寺楽市の看板
この時の旅行全般に関しては、そちらの記事を見て下さい。
⇒GW旅行 琵琶湖 城めぐりの旅
では、小谷城、長浜城、彦根城、安土城に続く第5弾。
「観音寺城」です。
「観音寺城」は、日本五大山城の一つで当然山の上にあります。ですが実はその城跡には行っていないのです。
この日、彦根城、安土城、観音寺城の3つの城に行く予定でした。が、先の2つの登城を終えた時点で既に夕刻となってしまいました。
←石寺楽市の看板
この時点で、山の上にあがるのは難しいだろうと諦めていました。城跡の近くには、聖徳太子が人魚に哀願されて建立したと伝わるき観音正寺もあり、そちらにも行ってみたかったのですが、実は自宅で調べた段階では、どうやってこの山に登るのか、観音正寺まで車で登るにはどうしたら良いのか、よくわからなかったのです。
とりあえず、「観音寺城」の日本100名城スタンプが置いてある石寺楽市会館へ行くことにしました。
←石寺楽市会館
観音寺山のふもとに建つ直売所です。ここの地域が安土の楽市の発祥地だそうです。
観音寺城は、湖東平野の中心にある独立丘陵、繖山(きぬがさやま)の南半分を中心に築かれ、南麓は中山道、西麓は琵琶湖に面する水陸交通の要衝地にあります。前回紹介した安土城は、この繖山(別名:観音寺山)からぴょこんと飛び出た形の安土山に築かれました。
観音寺城主の佐々木六角氏は、鎌倉時代から守護としてこの地を支配してきましたが、室町時代を経て戦国時代となり、織田信長に滅ぼされます。その後、信長は観音寺城を廃棄し安土城を築城しました。
石寺楽市会館の外には、観音寺城の案内板があり、観音正寺へ行くタクシー乗り場までありました。観音寺城跡の案内チラシもゲットできました。
ですが、日は大分傾き雨も降り始めたので、やはり今回は登城を断念しました。
↑
←石寺楽市会館外にあった案内板
↓
←観音寺山模型
(安土城郭資料館にて)
「観音寺城」は、今回ふもとまで、ということでした。
また機会をつくって、是非、城跡へ登りたいと思います。
←日本100名城スタンプ
「観音寺城」
(石寺楽市会館にて)
安土城(その1) 安土城(その2)
彦根城(その1) 彦根城(その2)
長浜城
小谷城
GW旅行 琵琶湖 城めぐりの旅
【お城】カテゴリー 内部リンク
とりあえず、「観音寺城」の日本100名城スタンプが置いてある石寺楽市会館へ行くことにしました。
←石寺楽市会館
観音寺山のふもとに建つ直売所です。ここの地域が安土の楽市の発祥地だそうです。
観音寺城は、湖東平野の中心にある独立丘陵、繖山(きぬがさやま)の南半分を中心に築かれ、南麓は中山道、西麓は琵琶湖に面する水陸交通の要衝地にあります。前回紹介した安土城は、この繖山(別名:観音寺山)からぴょこんと飛び出た形の安土山に築かれました。
観音寺城主の佐々木六角氏は、鎌倉時代から守護としてこの地を支配してきましたが、室町時代を経て戦国時代となり、織田信長に滅ぼされます。その後、信長は観音寺城を廃棄し安土城を築城しました。
石寺楽市会館の外には、観音寺城の案内板があり、観音正寺へ行くタクシー乗り場までありました。観音寺城跡の案内チラシもゲットできました。
ですが、日は大分傾き雨も降り始めたので、やはり今回は登城を断念しました。
↑
←石寺楽市会館外にあった案内板
↓
←観音寺山模型
(安土城郭資料館にて)
「観音寺城」は、今回ふもとまで、ということでした。
また機会をつくって、是非、城跡へ登りたいと思います。
←日本100名城スタンプ
「観音寺城」
(石寺楽市会館にて)
安土城(その1) 安土城(その2)
彦根城(その1) 彦根城(その2)
長浜城
小谷城
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