2010年05月05日

山中城

登城日2009年9月21日
先日予告しました通り、上げていなかったお城をUPします。
1発目は、山中城です。

山中城見学ルート図







     《山中城見学ルート図》(クリックすると大きく見れます)

山中城は、箱根山麓、国道1号線を三島へ下る途中にある山城で、箱根山ではありますが静岡県になります。
戦国北条氏の出城で、天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めで落城し、その後廃城となりましたが、昭和9年(1934)国指定史跡になり、
現在は山中城跡公園としてきれいに整備されています。

 

 コジューローが訪れたのは、昨年(2009)9月21日。
小田原に住むコジューローにとっては、地元近くにある城で、城を突き通る国道1号線は数え切れないほど通過しながら、城跡内部に足を踏み入れたのは初めてのことでした。
 もう半年以上も経ってしまったので、記憶の薄れているところもありますが、その日の見学ルートをたどりながら、この城の紹介記事を書いてみようと思います。今回の見学ルート図を作ってみましたので、記事を読む参考にして下さい。(上に掲載)
また、掲載の写真はすべてクリックすると大きく見れます。


 当日朝、小田原から車で走りなれた国道1号線を箱根に向かいます。箱根峠を過ぎて三島へ下る道、もう何度通ったか知れない勝手知ったる道の中腹に山中城はあります。ここを通過するたびに気にはなっていた山中城ですが、ここはいつでも来れるという気持ちから、なかなか足を踏み入れる事をしませんでした。日本100名城の1つに指定され、そのスタンプラリーをコジューローが始めなければ、もしかしたらもっと先延ばしにしていたかも知れません。その意味、このスタンプラリーは良いきっかけだったと思います。
駐車場にあった案内図 さて、国道沿いの駐車場に車を入れ、山中城めぐりのスタートです。
駐車場の脇にある山中城跡案内図の大看板で、これから回るルートを大まかですが確認します。インターネットで大体のところ調べては来ましたが、この時点ではまだ、おおまかとか大体と
北条橋いった程度です。先ずは100名城スタンプが置いてあるという売店に行き、山中城のガイドパンフレットを手に入れること。次に岱崎出丸(だいざきでまる)を見て歩き、それから本城をめぐり歩く。昼食はその売店か、売店より少し箱根よりにある茶屋で取る。こんな程度です。下調べ段階では来てみなければ分からないという状態でした。

 駐車場のはずれから出て、北条橋を渡り、箱根旧街道の石畳を箱根方面に
箱根旧街道石畳歩きます。
 程なくして国道1号線にぶつかり、その角に案内所兼売店がありました。中に入ると狭い店内にテーブルが2つくらいあったでしょうか、何人か年配の方達が休まれていました。ここでは食事もできますが、寒ざらし団子というのが名物とかで、ちょっとした期待もあったのですが、そこで何かを食べようという雰囲気ではなく、またその気持ちにもなれず、スタンプを押してガイドパンフレットをゲットし早々に出ることにしました。

 売店から箱根旧街道を隔てた反対側に岱崎出丸への入り口があります。国道からはさらに奥に入る方向です。
 この岱崎出丸は、天正17年(1589)に秀吉の小田原攻めに備えて、各曲輪の修築と共に増築された出丸です。面積20400屬砲よぶ広大な曲輪で、岱崎城とよばれることもあるそうです。戦闘開始まで短期間だったため完成に至らず、この出丸を守った副将間宮豊前守康俊(まみや ぶ
すり鉢曲輪ぜんのかみ やすとし)率いる北条軍は、壮絶な戦闘の末全員が討死したと伝えられています。
 街道に沿ってその南西方向に長く伸びた岱崎曲輪の南側を歩き、一番奥のすり鉢曲輪に出ました。すり鉢状に窪んだ面白い形の曲輪です。
一ノ堀 戻りは北側に沿って歩きます。そこから街道の方を覗き込むと、見事な畝掘(うねぼり)が一直線に掘られているのを見つけました。一ノ堀です。
間宮隊はこの堀をはさんで秀吉軍と戦ったんだろうなあ、と想像したりしました。
「史跡・山中城跡」木柱
 広い岱崎出丸を後にして、売店のところから国道1号線を渡り本城域に入ります。
入り口に「史跡・山中城跡」と記された木柱が立てられていました。

 入っていくと先ず出くわすのが「三ノ丸堀」。三の丸の西側に南北に走るこの堀は、大切な防御のための堀である、と解説があります。自然の谷を利用して作られたこの堀は、後北条氏の
三ノ丸堀堀特有の畝(うね)がありません。いや実は1本だけ畝がありまして、それはこの堀を東西に分ける縦に長い畝で、東側は水路としての水堀、西側は空堀という二重の堀でした。
見学路はこの畝を渡って奥へと入って行くのですが、コジューローの記憶が何だか曖昧で、左に空堀(写真のもの)があったのは覚えているのですが、右側がどうなっていたか?覚えていないのです。たぶん水はなかったと思うのですが・・。
田尻の池
 次に現れたのが「田尻の池」。この池をくるりと周って池の東側に出るともう一つ池が現ました。これが「箱井戸」と呼ばれているところです。このあたりは発掘調査によると湿地帯だったことが確認されています。「箱井戸」と「田尻
箱井戸の池」は土塁によって分離され排水溝によってつながれていました。これは湧水量も多く、一段高い「箱井戸」から「田尻の池」へ水を落とすことで水の腐敗を防ぐための工夫だったようです。「箱井戸」の水を城兵の飲料水に、「田尻の池」は、洗い場や馬の水飲み場等
二ノ丸虎口へ向かう坂道に利用していたということのようです。

 田尻の池の手前から二ノ丸方面へと登って行きます。登って突き当たった大土塁を右折すれば山中城最大の曲輪、「二ノ丸」です。二ノ丸の虎口とおぼしき所にある大きな土塁は、その上に
二ノ丸橋櫓があったか見張り台があったか分かりませんが、そんな雰囲気を漂わせています。
 二ノ丸をちょっと伺って、反対方向すなわち左折方向へいきます。「二ノ丸橋」です。
 二ノ丸橋を渡ったところの小曲輪が
元西櫓から溜池方面を見る「元西櫓」。西の丸と二ノ丸の間に位置し、周囲を深い空堀が囲んでいます。この曲輪は堀を掘った土を土盛りし平らに整地して作られていていますが、この土盛りの下部にはロームブロックが積まれ、溜池に向かっての排水、集水路となっていました。この溜池は「元西櫓」の北側にあたります。

 元西櫓から北へ通路を抜けると、「西ノ丸」とその西に位置する「西櫓」をぐるりととり巻く通路にでました。「西ノ丸」
西ノ丸のちょうど東に位置する場所です。ここから西側「西ノ丸」「西櫓」周辺は、山中城の一番の見所、畝掘、障子堀の宝庫です。先ずは細い通路を登り「西ノ丸」へ出ました。

 「西ノ丸」は3400屬旅大な曲輪
西ノ丸見張台より西ノ丸・西櫓間の障子堀で、山中城西方防備の拠点です。西端の高い見張台はすべて盛土によるもので、ここを中心に三方をコの字型に土塁を築き、内部も人工的に平坦にならしています。また東側にある溜池(前述)に連絡用通路を排水口として雨水等が集められるしくみになっているとの
西ノ丸見張台より西櫓を望むこと。・・コジューローが登ってきた通路が排水口の役割を兼ねているという事ですな。・・「自然の地形と人知とを一体化した築城術に、北条流の一端をみることができる。」と、案内板の説明書きにあります。まさしく!とうなずいてしまうコジューローであります。
西ノ丸見張台より西ノ丸を見渡す
 南側(正しくは南東でしょう)通路より「西ノ丸」を出て「西櫓」へ向かいます。
早速現れた畝堀、そして障子堀。この「障子堀」というのは、堀の中を区画するように畝を掘り残す畝堀の一種で、後北条氏独特のものです。西ノ丸と西
西ノ丸南側の畝堀櫓の間の障子堀は、中央の区画に水が湧き出ていて、溜まった水は南北の堀へ排出される仕組みになっているそうで、このように水堀と用水地を兼ねた堀が山城に作られることは非常に珍しく、後北条氏の城の中でも特異な構造とのことです。
この日は干上がっていたようで、この堀に水は見られませんでした。

 南東面より「西櫓」へ入ります。この「西櫓」は「西ノ丸」からの馬出(うまだ
西ノ丸・西櫓間の障子堀し)で、後北条氏がよく用いた角馬出です。これについては立て看板の写真を見て下さい。クリックすると大きく見れますので読めると思います。

立て看板「後北条氏の角馬出」






西櫓周囲の畝堀 西櫓を出て、帯曲輪、西木戸へと進みます。
 このあたりの畝堀は、畝の高さが堀底から約2mと深く、角度も急峻で、頂部の幅は狭く丸みをおびています。堀底から西櫓までの高さは9m。現在は植栽されていますが400年前の当時は滑りやすいローム層が露出し樹木は全く無かったので、もし人間が落ちたら脱出不可能、まさにアリ地獄のような堀だったようです。
 西木戸には「史跡・山中城址」と掘ら
西木戸の石柱れた石柱が立てられています。

 深い畝堀を見ながら西櫓外周路をさらに進むと、複雑な畝構造の障子堀が現れました。西ノ丸と西櫓の間あたりの北面です。西ノ丸堀の立て看板があります。山中城の紹介写真でよく見かける障子堀は、このあたりのものでしょう。「このように複雑な堀の構造は、世に伝えられる『北条流堀障子』の変形であり、学術上の価値も高い・・」といった解説があります。
西櫓周囲の畝堀西櫓西ノ丸付近北側障子堀






西櫓西ノ丸付近北側障子堀






 このあたり休憩所もあり、眺望も良いらしいのですが、この日は生憎の曇天で、富士山も隠れていました。

 西ノ丸の東面に出て、一周しました。溜池の横を通り(実はここを通ったことを覚えていないのですが、ルート図を見ると通っているはずなのです)、森の中を抜けて「北ノ丸」へと向かいます。
 ルート図を見ると下っているように見えますが、実際は上っています。図の右方向(北方向)が箱根山で、左方向がふもとの三島ですから、図の右へ行くほど高地と見ればよいかと思います。その意味では、駐車場の立て看板の案内図の方が、感覚をつかみ易いかも知れません。(ルート図とは逆さまに描かれています)

北ノ丸 「北ノ丸」は、天守櫓に次ぐ本城第二の高地に位置し、面積1920屬里蠅辰僂紛蔑悗任△襦△伐鮴發砲△蠅泙后K楷櫃ら天守櫓を挟んだ裏側といった感じの位置で、本丸からは右手前方同列に「二ノ丸」、左手前方下に「三ノ丸」、そして後手に「北ノ丸」といった配置で、
本丸側から木橋と北ノ丸本丸に非常に近く、重要な曲輪であることは間違いなさそうです。
本丸との間は天守台の裏側から木橋で結ばれています。

 木橋を渡り、そのまま進んで天守櫓跡へ登りました。
ここが山中城第一の高地です。この台地(天守櫓台)は本丸の北に位置した小山で、中央に一辺7.5mほぼ方形の天守台があります。
 盛土による天守台は50〜70cmの
天守台高さで、その四周には幅の狭い帯曲輪のような通路が一段低く設けられています。コジューローの手元にある、ある本によると、三層の天守があったと記されていますが、現地の立て看板の解説には「発掘調査では確認できなかった。」とあります。
 コジューローが撮った天守台の写真を一応載せておきますが、どこがそれやら今見ると良くわからない写真ですね。(汗)

本丸から見た天守櫓台 天守櫓台を本丸側に降り・・、あらら、写真がない。天守櫓から降りてきたときに見た本丸の光景は良く覚えているのですが、どうやら写真を撮ってなかったようです。本丸で撮った唯一の写真がこれ、本丸から見た天守櫓台です。
 本丸は三段の平坦面になっていて、一番上が主殿があったところで北に天守台、その裏手に北ノ丸に通ずる木橋があり、西に二ノ丸へ通ずる本丸西橋があります。南側は一段低くなって2mほどの幅の平坦部があり、更に一段低くなって兵糧庫や弾薬庫のあった平坦部があります。この兵糧庫と弾薬庫の平坦部は同一面だったか、もしかすると段がついていたかも知れません。またここまでをすべて本丸とするのも妙ですし、各段の境目と曲輪の外周は土塀(城壁)で仕切られていたでしょうから、本丸は最上段もしくは二段目までとするのが順当なところでしょう。本丸跡の立て看板の解説も二段の平坦面と書いてあったと思います。

 それにしても写真の撮り忘れ・・、たぶん朝から山城の中を歩き回って疲れたのでしょう。お腹もすいていたはずです。なにしろ次はおそばの写真がいきなり出てくるんですからね。(笑)
茶屋竹屋のとろろそば 兵糧庫のところから駒方諏訪神社を抜けて、一旦外へ出ます。鳥居をくぐって国道1号線を隔てた向こう側、直ぐ目の前に「茶屋竹屋」さんがありました。時刻は何時だったでしょうか? お昼の時間はとっくに過ぎていたような気がしますが・・。
 名物とろろそばを食べて、しばし休憩。元気を取り戻して、さああと少しです。店先から正面の駒方諏訪神社の鳥居をパチリ。ここにも「史跡・山中城址」の石柱があります。一旦外へ出たとは言っても、道路を隔てたこ
駒方諏訪神社の鳥居のあたりは三ノ丸の一部です。山中城は、街道をも取り込み、城内を通過しなければ先に進めないような形で、築かれていたのです。

 ではもう一ふん張りです。鳥居をくぐり、神社を抜けて本丸へと戻ります。この駒方諏訪神社のところに県指定天然記念物の大カシの木があるとなっているのですが、この木のことはどうにも思い出せません。そんなに大きな木なのに、気にならなかったんでしょうか?

 本丸から本丸堀に架けられた「本丸西橋」を渡り、「二ノ丸」に出ます。
この「本丸西橋」は、現在は通行上の安全の為、しっかりしたものが架けられていますが、本来はもっと簡単なものだったようです。
本丸西橋この橋、本丸側からは堀の半分まで土橋があり、二ノ丸側には堀の中腹に犬走りがあって、そのまま橋を分断しています。ですから橋が架けられていたとしても、非常に簡単なものだったと推測されるわけです。

二ノ丸 「二ノ丸」は東西に伸びる尾根を切って構築された、山中城最大の曲輪です。南北方向に傾斜があり、北側は堀(ルート図をみると現在は森になっている)、南側は斜面となって箱井戸の谷に続いています。「狭い本丸の機能を分担したものと思われる。」と案内板の解説にあります。
 さあこれで、山中城のほとんどの所は見ました。西側の虎口から二ノ丸を出て、正面の二ノ丸橋には行かず、左折して行きに登ってきた道を下ります。箱井戸を左に見て田尻の池を左折し、箱井戸の前から「三ノ丸」に出ました。そのまままっすぐ行けば直ぐ目の前が国道です。国道に出る
宋閑寺の武将の墓手前で右に曲がり「宋閑寺」の境内に入りました。
 ここに山中城の攻防戦で命を落とした武将の墓があります。山中城城主、松田康長や副将、間宮康俊などの墓で、豊臣方の武将、一柳直末の墓もあります。
 宋閑寺を出て旧街道を歩き、国道を渡って、スタンプを押した売店の裏側から旧街道の石畳を歩いて駐車場へと戻りました。

山中城見学探訪、全巻の終わりです。

今回周った見学ルートは、途中「茶屋竹屋」さんで、おそばを食べた以外は、山中城跡のガイドパンフレットに載っている「戦国山城探訪コース」そのままのルートです。パンフレットには約2時間と書いてあります。実際にかかった時間は、かなり前のことですっかり忘れてしまいましたが、2時間ではすまなかったと思います。しかし、どのくらいじっくり見るかにもよりますので、このコースは最低2時間と考えるのが良いかと思います。
(健脚の方で周ってくるだけでしたら、もっと早いと思いますが)

この記事が、これから山中城へ行ってみようという方の参考になれば幸いです。

では、これにて。

日本100名城スタンプ40山中城

日本100名城スタンプ
  「山中城」







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