2010年06月14日

北関東・城跡めぐりのついで旅

2009年10月26日〜28日

 今日の記事は、昨年秋(10月)に行った北関東旅行についてです。実はこの記事GW明けに上げるつもりでした。今年はGWに旅行をしなかったので、その代わりの旅行記事として、まあ春と秋の違いはご容赦頂いて読んでもらおうと思っていたのですが、また時期をはずしてしまいました。しかし、5月2日にこのブログでお約束した記事でもありますので、まあ気にせず楽しく読んでみて下さい。
 ですが、なにせ半年以上も前になりますので、コジューローの記憶の方
01足利学校(歩道橋の上より)が怪しくなっている気もします。ですがまあ書き出せば何とかなるじゃろってなもんで、前置きはこれくらいにして、始めます。
←足利学校
(写真はクリックすると大きく見れます)
                     

 この旅行の目的は、北関東の城めぐりです。
一昨年、日本100名城のスタンプラリーを始めたものですから、そのスタンプを集めながら城めぐりをし、ついでにあちらこちら見学しようというもくろみです。元々のきっかけは、旅行をするのに何かテーマがあったら良いな、と思っていたところ、たまたま書店で「日本100名城」のスタンプ帳付の本を見つけたので、それに乗っかったという、実に安易で単純なものでした。ですが、あちらこちらの城や城跡を探訪しているうちに、日本の城への興味と共に、日本の歴史にも興味を持つようになりました。


1日目(26日)
 この旅行で最初に訪れたのは、栃木県足利市にあります、「足利氏館」と「足利学校」です。コジューローにとってまた一つ新しい歴史との出会いがありました。
02足利学校 生憎の雨です。国道293号線沿いの駐車場に車をとめ傘をさして歩道橋を渡ります。駐車場から国道を挟んで反対側に「足利学校」があります。歩道橋の上からとりあえずパチリ。ここから足利学校のちょうど裏側に、日本100名城に認定されている「足利氏館」があり
03足利氏館ます。足利学校の堀の外をぐるっとまわって、先ずはそちらへと向かいました。
 足利氏館は、鑁阿寺(ばんなじ)として有名です。このお寺、源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)自らの館内に持仏堂を立て、大日如来を祀ったのが基となり、発展したお寺です。重要文化財が多数あり見どころも多いのですが、肝心の本堂が修復中で、すっぽりとシートが掛けられ見ることが出来ませんでした。詳しくは別記事にて紹介します。(いつになるやらですが‥)
04足利尊氏像写真は表玄関となる山門です。

 山門からまっすぐの石畳の通り(大日山門通り)を通って足利学校正門へと向かいます。
 途中、足利尊氏公の像があったので、パチリ。

 「史跡・足利学校」という石碑の立つ正門前に来ました。「日本最古の総合大学」といわれる足利学校は、鎌倉時代の初期、前述の足利義兼が一門の
05足利学校学問所として興したとする説が有力とされています。ちなみにこの足利義兼は、あの八幡太郎源義家のひ孫にあたる人で、父の義康の時に兄弟で新田姓と足利姓を名乗りました。
 足利学校は、天文年間(1532〜1554)の頃には、学徒三千人と言われ、当
06足利学校時の日本を代表する学校として、易学や儒学を中心に実践にも役立つ学問を教えていました。先ごろ刊行された富樫倫太郎氏の書いた「早雲の軍配者」という時代小説には、伊勢宗瑞(北条早雲)の命を受けた若き日の風魔小太郎が、この足利学校で学ぶ様子が描
07足利学校かれています。コジューローの地元小田原が関係し、しかもついこの間、足利学校を見学したこともあって、大変興味深く読めました。でも全く関係のない人にとっても、大変面白い読み物ですので、オススメです。‥と、ちょっと話が脱線しました。
 現代は生涯学習の時代といわれますが、足利学校には「自学自習」の心を今に伝える教育の原点があります。先の小説からもそれがよく伝わってきました。

 足利を後にして、次に向かったのは群馬県は太田市にある金山城です。足利市と太田市は、県は違えど直ぐ近く車で30分とかからない距離です。
 途中で昼食をとり‥‥う〜んこの辺が記憶が曖昧なところで、太田のB級グルメが焼きそばということで、焼きそばを食べるつもりが和風パスタを食べたような気がします。たぶん美味しかったと思うのですが、あの店内の様子は覚えています。お店の名前は覚えていません。それと昼食は金山城に行った後だった様な気もするのですが、でも時間から考えてそれはないと思います。う〜んやっぱりあまり間を空けると忘れてしまっていけませんなあ。

08金山城 金山城は戦国時代の関東の山城としてはめずらしく、石垣や石敷きの多い城です。お城に石垣があるのは当たり前じゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、中世のしかも関東の山城では珍しいのです。このブログで先ごろ上げた山中城を見ていただければ分かると思います。
 ということで、金山城についてはまた別記事で詳しく上げたいと思います。ちなみにこの城も日本100名城に認定されています。

 金山城を出て、次に目指すはこの夜の宿泊地、伊香保温泉です。
太田から車で約1時間半。渋川から伊香保への登りにかかった時には、日もとっぷりと暮れていました。そう秋は春に比べて日が短いので、行動
09伊香保可能時間がやや少なくなってしまいます。

 平日とあって露天風呂は貸切同然の状態でした。しかし夜の露天風呂に一人きりというのは、ちょっと不気味です。元気付けに唄でもうなれば良さそうなもんですが、その勇気もありません
                     でした。夕食の時に飲んだ「赤城山」と
10伊香保いうお酒は、なかなか旨い酒でした。コジューローの地元の「丹沢山」というお酒と非常によく似た感じで、コジューロー好みの酒でしたので、こりゃ1本買って帰ろうと思ったのですが、結局酒屋を探す時間がなく、叶いませんでした。

11伊香保神社
2日目(27日)
 朝、伊香保の温泉街を見学しました。TVなどでよく見る有名な石段ですね。与謝野晶子の詩が刻まれています。朝早いためお店は未だ開いていません。
 石段の頂上にあるのが伊香保神社で
12伊香保神社す。鳥居と紅葉が非常に美しく、思わずパチリ。

 伊香保温泉を出発し、榛名湖へ向かいます。
 つづら折りの坂道を車で登って行きます。昨日とは打って変わって秋晴れ
13伊香保〜榛名への良い天気です。昨日の雨で空も山も洗われたようで非常にまぶしく美しい。見晴らしの良い所に出たので、車をとめてしばし展望。なんと、虹が出ています。パチリ。
14伊香保〜榛名へ 峠を越えて、榛名湖へと向かう道は、一直線でこれまた爽快な気分になります。
 榛名湖到着のちょっと手前(もう到着と言っても良いでしょう)に、榛名山ロープウェイ乗り場がありました。高いとこ
15榛名山と榛名湖ろ大好きのコジューローは、もちろんここでロープウェイに乗って榛名山頂上へと向かいました。なんとかと煙は高いところへ登る‥と、昔からよく言いますが、コジューローもその何とかの一人なのでしょう。ロープウェイの山頂駅から榛名山頂神社の祠まで、さらに階段を登ります。けっこうキツイ。でも何とかのコジューローは頑張って登りました。
 山を降りて、榛名湖畔へ行きます。ここもすがすがしく気持ちが良いところです。
↑榛名山と榛名湖の写真は、ちょっと編集して1枚にまとめてみました。
あっ、ちなみにロープウェイで登った山は、正しくは榛名富士です。榛名山とはこのあたりの山全体を言うのでしょう。そういえばコジューローの地元の箱根山も個々の山には別の名前がついていて、箱根山という名前の山はありません。その辺の山全体が箱根山なのですからね。おっとまた脱線。え〜と、上の写真の注釈の榛名山というのもすべて榛名富士です。悪しからず。

 でもまあ遠くから見れば全体的に榛名山と言えるわけですから、次の目的地は、その榛名山を下って、南側のふもとにある箕輪城へとなります。

16箕輪城 箕輪城は西暦1500年ころに長野氏が築いた城ですが、武田信玄や小田原北条氏とも因縁の深い城です。今残っているのは、広大な面積の城跡のみですが、日本100名城に認定されています。この箕輪城についても、また別記事で書きます。

 さて、先に進めて次の目的地は、さらに南へ埼玉県に入り、寄居の鉢形城です。
と、この間に昼食をとっているはずなのですが、はて?思い出せません。‥そうだ、確か高崎のイタメシ屋で‥、窓際のテーブル席の情景が思い出されてきました。とするとこの日も昼はパスタだったのか、あれ?とすると太田ではパスタではなく焼きそばだったのかなあ?‥自信が持てなくなりました。食いしん坊を自認するコジューローですが、美味しく食べても消化されてしまうと忘れてしまうようです。せめて写真でもあれば、と思うのですが、食べ物を目の前にするとそんなことは忘れてがっついてしまいます。そして食べ終わった後でいつも気付くのです。写真を撮っておけばよかったってね。まあ仕方がありません。

 鉢形城に着いたのは夕方でした。鉢形城歴史観の閉館時間には、かろうじて間に合ったので、そこだけを見学して城跡の見学は翌日にすることにしました。
 この日の泊まりは寄居のかんぽの宿でした。夕食の時に飲んだお酒が「秩父錦」で、前日の「赤城山」よりさらに美味しく感じました。このお酒はこの宿の売店で売っていたので、買って帰りました。う〜ん料理は忘れてもお酒は覚えている。なんだかなあ〜って感じです。

17長瀞ライン下り
3日目(28日)

 この日も良い天気でした。せっかく近くまで来ているので、長瀞ライン下りなるものを体験してみようと出発しました。そういえばかつて埼玉に住んでいたことのある知人が、埼玉県の観光名所といったら長瀞くらいのもんだね、と言っていたのを思い出しました。
 船頭さんいわく、長瀞ライン下りの売りは豪快さだよ、とのこと。急流を通過するときの水しぶきは、なるほど半端ではありませんでした。写真はまとめて1枚に編集しました。水しぶきを浴びているときはビニール防御で手一杯で、その時の写真は生憎ですがありません。
18鉢形城 この長瀞は鉢形城の下を流れる荒川の少し上流に位置します。そのまま舟で川を下れば鉢形城へ着くのですが、それはできないので、舟を降り、また車で川沿いに下り鉢形城へと行きました。

 はい、鉢形城については例によってまた別記事に致しますので、次へと勧めます。今回の旅行最後の目的地、川越城へ行きます。
 さてここでまた、この日の昼食という難題にぶつかりました。関越自動車道を走って川越に行っているので、おそらくサービスエリアで取ったのでしょうが、今度こそ完全に思い出せません。ふ〜!記録には昼食1000円とあるので、しっかり食べているはずなんですけどね。まっ仕方ありません。

 さて川越城ですが、またしてもショッキングなことに遭遇しました。本丸御殿工事中です。いや川越城は本丸御殿しかないので、ここが工事中では話になりません。工事中のフェンスでがっちりふさがれ、かけらも見ることができませんでした。100名城スタンプだけは、何とかゲットできたのですがガッカリです。
 川越城についても、また別記事にします。
(でもほとんど書けないでしょうが‥)
                      でもまあせっかく川越まできたのです
19喜多院から、他の見どころはということで、川崎大師「喜多院」へ行きました。
 喜多院は、徳川家ゆかりの天台宗の寺院で、歴史をさかのぼれば奈良時代にまで行き着くとのこと。しかしまあ最も分かり易く言うならば、あの天海僧正のお寺と言えばなんとなく解るのではないでしょうか。
←喜多院の多宝塔
                      これで、今回の旅は終了です。
21川越後は帰るだけ。

 川越の町並みをぶらっと見学しました。日も暮れかかっています。時の鐘が段々とシルエットに変っていくのを眺めながら、旅の終わりをちょっと寂しく感じていました。

20川越





長い記事を最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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