2010年08月10日

ピアノ連弾リサイタル

8月1日
 古賀夏美、新井庸子、両先生のピアノ連弾リサイタルに行ってきました。昨年は8月2日でしたから、1日違いですね。何故日にちまで覚えているかと言いますと、実は覚えていたわけではなく、昨年このブログで何の気まぐれか、そのコンサートのレビュー記事のようなものを書いてしまったので、記録さてれいるという事なのです。
 そしてそのレビュー記事、なんと当の古賀先生にまで読まれていたという赤面の事実が発覚、こりゃ今年も書かないわけにはいかんのじゃろ‥、
ピアノ連弾リサイタル100801というコジューロー型妄想的責任感により、今年も書き始めた次第であります。  

 今年の会場は、小田原駅より徒歩5分、喫茶館「銀の椅子」です。今年の会場と書きましたが、これは神奈川公演の会場でして、既に7月25日、東京公演を終え、来る9月4日には長野公演を控えています。今年はデュオ活動10周年とのことで、両先生とも気合充分(古賀先生の方が気合割り増しだったような感も‥)なのでしょうか、銀の椅子では昼の部、午後の部と1日2公演でした。コジューローは午後の部に行きました。

 ところで、昨年はピアノ連弾コンサートだったのが、今年はピアノ連弾リサイタルになっています。コジューローは今年の演奏を聴いて、何だかその違いが伝わって来たような気がしましたが、意識的に呼び名を変えたのか否かは確認できていません。

そもそもコンサートとリサイタルの違いは何か?
余談になりますが、インターネットでちょいと検索したら、愉快な迷回答もあり楽しませて頂きましたので、ちょっと披露します。

●コンサートは、他人の曲・歌もOK。リサイタルは、自分の曲・歌だけ。
●コンサートは若向け、リサイタルは婆向け
●ホールでやるのがコンサート、ホテルなどでやるのがリサイタル
《コジューロー:いやいやこの辺、なかなか楽しい。》
●リサイタルは自分と伴奏者で公演する場合で、コンサートはオーケストラなど多数の人々と共演する場合です。
《コジューロー:おっ核心に触れてきた。》
●元々の違いは、「コンサート」は3人以上の演奏者で行われる公開演奏会のこと、「リサイタル」は演奏者が1人の独唱会や独奏会のこと。
《コジューロー:では、二人でやるデュオはどうなる?》
また、コジューローの友人の意見には、
●コンサートはお客さんに楽しんでもらうためのもの、リサイタルは演奏者の発表のためのもの。
というのもありました。

 コジューローの意見はというと、単純に、リサイタルは一人、コンサートは複数、という事です。コンサート(concert)は、コンチェルト(concerto)と関係する言葉でしょうから、やっぱり一人では成り立たないと思います。でもたとえ一人での演奏だとしても、それを聴く人が一人でも居れば、その音楽をその場で共有する人が二人(複数)となり、コンサートが成立します。ですから演奏者が一人であるリサイタルも、お客さんが一人でも居ればコンサートです。
 結論:リサイタルはコンサートの一つの形態である。
な〜んだ、当たり前じゃん。と思われたかも知れませんね。(笑)
コンサートはお客さんに楽しんでもらうためのもの、というのは、こう考えれば正解と言えるでしょう。ロックバンドのライブコンサートなどは、お客さんと一体になって一つのコンサートを作り上げていますね。

 コンサートはわかりました。では、その中でのリサイタルとは、どういうものでしょうか。
 辞書によりますと、「独奏会」「独唱会」とあります。すなわち、演奏者もしくは歌手が一人の演奏会ということですね。
 では、ピアノの連弾は演奏者が二人だけどどうなんでしょう。連弾だけではありません。数名によるチーム、ユニットでもリサイタルという言葉を使っているのを見かけます。コジューローたちのギターアンサンブル「つばさ」も、いつかはリサイタルを開くぞ!と息巻いていたりします。これらは間違いなのでしょうか。
 まとまりのあるチームは、そのチーム全体で一つの個と捉えることができるでしょう。従ってそういうチームの単独演奏会は、たとえ演目は独奏や独唱でなかったとしても、会としては「独演会」であり、「独奏会」と同じ意味合いを持つことからリサイタルといっても良いのではと思います。
 また、リサイタルには物語りといった意味もあります。個人に歴史があるのと同じようにチームにも歴史があり、リサイタルという言葉には、個人にしてもチームにしてもそのメンバーの思い入れを感じさせます。そのコンサートを自らリサイタルと呼ぶ時、演奏者には特別な思いが込められるのだと思います。 

 いつもの癖で、脱線話しが長くなりました。本論へ戻します。
プログラムには、「古賀夏美&新井庸子 ピアノ連弾リサイタル〜デュオ活動10周年〜」とあります。10周年‥、だから今年はコンサートではなくリサイタルなんです。(あくまでもコジューローの勝手な解釈で、ご本人に確かめたわけではありませんので、悪しからず)

 午後の部開演は16:40ですが、コジューローは30分くらい前に会場へ入りました。実はこの日、別件コンサートの打合せのため、昼の部終演直後にも会場(喫茶館「銀の椅子」)に訪れていますので同日2回目(正確には3回目、詳しくはこちら)の「銀の椅子」になります。先に入っていたNさん(ギターアンサンブル「つばさ」のメンバーで、古賀先生のピアノの生徒です)は、一番前、演奏者のよく見える場所をキープしていましたが、コジューローは一番後ろの席に陣取りました。今回は演奏者のパフォーマンスを見ることよりも、ホール(ルーム)に響く音そのものを聴いてみたかったからです。
 席に着くと、お店の人が飲み物の注文を取りにきました。そうです、このコンサートにはケーキと飲み物がついているのです。この喫茶館「銀の椅子」では、ピアノが置いてあることもあって、時々こういったサロンコンサートが催されるようです。聞くところによると、使用料は無く、お店には飲食代のみが入るとのこと。ですからコンサートのチケットには必ずこの飲食費が含まれます。いろんなやり方があるもんだなあと思います。でもチケットがはければ良いけれど、あまり売れなかったらお店の儲けにならないので良いのかな、と心配になります。でもその懸念は無用のようです。なぜならば、お店の人はコンサートに対してあまり気を使っていないようだからです。本番演奏中でも、へいきで後ろの戸をバタンとしめたり、食器をカチャカチャ音をたてて洗ったりしています。コンサートがあれば普段より沢山お客が入る程度にしか考えていない様子です。
 ピアノは一応グランドピアノです。コジューローはピアノについては詳しくはないのですが、ちょっとという気がします。全体的に音の立ち上がりがやや重い感じがすることと、最高音がオモチャのピアノのようなカチュンといったような音が出るのが気になります。開成町福祉会館(今年初めの新堀ギター小田原教室ニューイヤーコンサートの会場、コジューローが歌手デビュー?した)のピアノが良かっただけに、なおさら気になってしまうのでしょう。ギター奏者はいつでも自分の楽器を持ち込んで演奏できますが、ピアノ奏者は会場の楽器を使うしかないので、辛いところだと思います。(でも、とてつもなく良い楽器を弾けるチャンスもあるかも知れませんが‥)

 演奏会がスタートしました。
 先ずはシューマン。古賀先生が高音、新井先生が低音という普段とは反対のパターンでスタートです。聴いたことのない曲でしたが、シューマンらしい雰囲気がただよっていた感じがしました。と言ってもコジューローの知っているシューマンはトロイメライくらいのものですが‥。
 続いてドビュッシー。一週間経って記憶が曖昧になってきているのですが、この曲で高音が新井先生、低音が古賀先生という従来のパターンに戻ったのではなかったかと思います。お二人の連弾は、やっぱりこのパターンの方が聞きやすい、と言いますか、持ち味が出せる感じがします。
「6つの古代エピグラフ」は、いかにも印象派のドビュッシーという感じがしました。中でも「夏の風の神、パンに祈るための」が大変良かったと思います。
 続くサンサーンス。「死の舞踏」が非常によかったです。

 ここで休憩が入り、後半はペール・ギュント組曲全曲です。
プログラムにペール・ギュントの物語のあらすじが書かれていて、この休憩時間にこれを読んでおくと、演奏がさらに楽しめるという趣向です。このお二人の連弾コンサートは、毎回プログラムにも何かしら工夫があって、楽しませてくれます。冊子になった広告一杯のお金をかけた立派なプログラムよりも、簡素でがさばらず、でもこういったちょっとした工夫で楽しませてくれるプログラムの方が、コジューローは好きですね。まあ演奏会の規模にもよるでしょうが。
 ペール・ギュント組曲の中では、古賀先生と新井先生の各々の独奏が1曲づつ入っていました。二人の個性がはっきりわかる良い趣向だと思います。
 それにしても連弾、一番後ろで聴いていると、二人で弾いているとは思えないほど合っています。アゴーギグもピタリ。いくらなんでも合いすぎだろう‥、一人で弾いているとしか‥、と疑いたくなりましたが、二本の手で出せる音の量と幅ではありません。やはり4本の手、二人での演奏なのです。連弾経験者のNさん曰く、相方は直ぐ隣で弾いているのに全く見えない、(相方の呼吸を)感じるしかない、アイコンタクトのとれるギターのアンサンブルの方が合わせるのはずっと易しい、と言います。だったら「つばさ」ではきっちり合わせて欲しいものですが、それを言っちゃあ何とやらですから(言ってしまいましたが‥(汗))、要するに大変難しいことをやっていると言いたいのだと思います。

 余談ですが、コジューローの友人に沖縄出身で三線(サンシン)をやっている者がいて、ある時三線のコンサートに誘われて行ったことがあります。そこで驚いたことは、横一列に並んだ数人の三線奏者の演奏です。全員真直ぐ正面を向いて、ユニゾンで弾く三線の一糸乱れぬそろいぶり、ここまでそろえるのに一体どれだけ練習を積んだことだろうと思わざるを得ない、見事な演奏でした。コジューローには、指揮者なし、アイコンタクトなしでそこまで合わせるには、練習量しか考えられなかったのです。
 しかし、ピアノの連弾を聴くようになって、時々思うことがあります。果たしてアイコンタクトやボディアクションによって呼吸を合わせる方法が、音を合わすための最も良い方法なんだろうか、ということをです。なぜなら、三線奏者もピアノ連弾奏者も合わせる相手を全く見ていないからです。感じとるとはどういう事でしょうか。目を使っていない以上、外からの情報を得るために最も働いているのは耳でしょう。でも聴いただけでは感じたことになりません。感じるとは、耳で聞いた情報と自分の中にある、あるものとが触れ合って何らかの作用をするという事で、その作用による変化を感じるのだと思います。では、自分の中にある、あるものとは何か。それをコジューローは音楽的感覚と捉えています。基本的に誰もが備えている感覚です。もっとも、訓練し磨かれた状態にあるか、原石に近い状態にあるかという個人差のようなものはあるでしょうが。しかし、基本的にこの感覚を備えているために、音楽を聴いて感動したり、心地よくなったり、楽しくなったり、悲しくなったり、恐ろしくなったりという事を、誰しもが感じることが出来るのです。
 余談から脱線へと向かいつつあるようですので、そろそろ軌道に戻しますが、純粋に音楽の流れの中で、自然に合わせる方法があるのではないかとコジューローは思うのです。そして訓練し磨かれた状態にある感覚どうしなら、それが可能であることを目の当たりにしています。

 ペール・ギュント組曲の中でコジューローが良かったと思うのは、「兄海遼皺Δ竜榲造砲董廖岫璽▲縫肇蕕陵戮蝓廚任后F辰縫▲縫肇蕕蓮△海瞭唯一、背中に電気が走った曲で、コジューロー的にはピカ一でした。

 アンコール曲は、ハンガリー狂詩曲第2番ダイジェスト。これも楽しませて頂きました。それにしても10周年、このデュオはどこまで進化を続けるのでしょうか。これまでも何度か聞かせて頂いたお二人の連弾ですが、コジューローの知る限り過去最高です。数値評価はできませんが、間違いなく新記録更新だと思います。

 一日二公演の演奏、お疲れ様でした。
 長野公演の成功をお祈りいたします。
 ありがとうございました。





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