2011年11月07日

金山城

登城日2009年10月26日
 金山城へは、先日UPした足利氏館と同じ日に行きました。金山城は、群馬県太田市にありますが、足利氏館のある栃木県足利市とはお隣りどうしで、城と館は10Kmと離れていません。
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 金山城は、太田・金山城とか新田・金山城と呼ばれることもあります。金山城と名の付く城は全国に複数あるようで、それらと区別するために用いるようです。新田・金山城と呼ばれる通り、この城は新田氏が築いた城です。新田と足利と言えば、新田義貞と足利尊氏が超有名ですね。この二
01総合案内板人が鎌倉幕府を滅ぼしたといっても過言ではないでしょう。義貞が鎌倉幕府本拠の鎌倉を、尊氏が京の鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を、同時に攻め滅ぼしました。 

 その後、南北朝の時代へと移り、北朝の尊氏と南朝方の義貞は争って、義貞は討ち死にすることになるります。そもそも足利氏と新田氏はともに源氏で、始祖の足利義康と新田義重は兄弟で、あの源義家(八幡太郎義家)がお爺さんです。ちなみに新田義重の方がお兄さんなのですが、鎌倉時代の世渡りの旨さで足利氏の方が家格が上になりました。
02金山城石碑 足利氏館は(記事でも書いた通り)尊氏が幕府を開いてからは主がいなくなり、その後は鑁阿寺として残っていきますが、対して金山城は新田の城とは言っても、義貞よりも少々後になって築かれています。義貞から3代後の岩松家純(いわまついえずみ)が文明元年(1469)に築城しました。

 岩松氏については、太田市のホームページによると、‥岩松氏は新田荘岩松郷(新田郡尾島町岩松)を名字の地とする新田氏の一族で、足利義純と新田義兼の女(むすめ)との子である岩松時兼を祖としています。鎌倉時代後期には新田本宗家をしのぐ勢力を持つに至りました。南北朝内乱期に足利方として行動、新田義貞を中心とする南朝方新田氏が滅んだ後、新田荘を支配し、新田氏とも称しました。‥となっています。もちろん事実なのでしょうが、金山城を築いた岩松家純は、家系をみると直接に義貞につながりますので、何か複雑なものを感じます。また機会があったらその先を調べてみようかなと思いますが、今回は深く突っ込まずに、新田氏の後裔の岩松家純が築城としておきます。
 その後、横瀬泰繁・成繁父子が岩松氏から実権を奪って、実質的な金山城主となりました。横瀬氏は岩松氏の執事でした。永禄8年(1565)頃、成繁が横瀬から由良と改姓し、国人領主を改め戦国大名の地位を得ました。天正年間の最盛期には新田・桐生・赤石(伊勢崎)・館林・足利などを手中に収め、東上野に君臨しました。この間、甲斐の武田氏・越後の上杉氏・相模の小田原北条氏などの戦国大名と、時に連携し、時に敵対し、攻防を繰り返しましたが、金山城は難攻不落を誇りました。‥と、太田市のホームページに載っています。以下もそのホームページから引用します。
  天正12年(1584)小田原北条氏に金山城主由良国繁とその弟で館林城主長尾顕長が幽閉され、金山城は北条氏により攻撃されましたが、二人の帰還を条件に金山城を北条氏に明け渡すこととなり、由良氏は桐生城に退きました。金山城には北条氏の家臣が配置されました。
 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻略に伴い、金山城は廃城となりました。

 という事で、ざっと金山城の歴史を書きましたが、南北朝の動乱期から、最後はコジューローの地元小田原北条氏まで、大変興味深い歴史を持つ城であることが分かりました。参考にした(引用した)太田市のホームページの金山城関連ページは、大変解り易く金山城について紹介されていました。リンクをつけておきます。
太田市ホームページ史跡金山城跡

 さて、ここからコジューローの登城記です。
 もうお解りかと思いますが、掲載写真はポインターを当てると写真の番号と名称が出ます。クリックすれば別ウィンドウで大きく見れます。(あまり大きくならない写真もあります。ご免。)ラストに金山城の所在地の地図、それから今回の金山城めぐりのルート図を載せてあります。ルート図の記事中にある[ ]の数字は、掲載写真の番号を示しています。まあこれらを適当に見ながら登城記を読んで頂ければ、‥なんて思いながら作ってみました。

03西矢倉台西堀切橋 金山城は、太田市街の北にある金山自然公園内にあります。金山城跡線という舗装はされているものの細い山道(林道のような)を車で登って行き、終点(らしい)の西城駐車場に車をとめました。ここから歩いて城跡内に入りるのですが、雨が降っています。どの程度整備されているのかも分からないので、雨の中、傘をさして山城跡に足を踏み入れるのには、ちょっとためらいもありました。でも折角来たのですから、とにかく行って見て危ないようなら、この
04西矢倉台西堀切日は諦めるつもりで歩き始めました。こんな日に山城の金山城を訪れる人はほとんどいないのでしょう。この時も、この後も城跡内で人に会う事はなかったように思います。(あっいや、一人だけ見かけたような‥、はっきり記憶はしていないのですけど‥)
 車で来た道を少し引き返すように歩くと、道の左側に小屋があり、金山城の石碑[01] と総合案内板[02] がありました。(文中の [ ] 内の数字は、掲載写真の番号を示します。)石碑の右側にあ
05西矢倉台下堀切る階段を登って行って城跡内に入りました。(駐車場も含めてこのあたりは全て城跡内でありますが‥)
 尾根筋に出て、最初の堀切に架かる木の橋[03] を渡ります。西矢倉台西堀切[04] です。この堀切の底を歩いて下ると桟道のある下の通路に出られるようなのですが、この日は行きませんでした。二つ目の堀切(西矢倉台堀切[05] )も横切って、西矢倉台を通過したところで、桟橋のある下からの通路と合流しました。
06物見台下虎口 さらに進むと、石垣のある、石畳の通路へと出ました。物見台下虎口[06] です。石垣の手前に石で荒々しい感じの物見台下堀切[07] があります。金山城は、当時の関東の山城では珍しく、石垣の城です。この日の天候のせいで、靄のかかった凄みのある姿を見ること
07物見台下堀切ができました。
 石垣の虎口へと足を踏み入れ、さらに進むと、今度は木の橋が架かった階段状の石垣のある所へと出ました。堅堀[08,09] という所のようです。金山城内には、要所要所に案内解説板が設置されていて、コジューローは後でまと
08堅堀橋める時の為に、その解説板を逐一携帯電話のカメラで写真に撮っておいたのですが、実はカメラの設定を誤って小さいサイズで撮ってしまった為に、解説の文字が全く読めず失敗となってしまいました。ここからさらに進んで少し登った所から、馬場曲輪へ進む道と、戻
09堅堀脇の石垣る方向に物見台へ通じる道ががありました。視界も悪いので物見台へは行かず、そのまま馬場曲輪へと進みましたが、その分岐にあった物見台の解説板[10] を(失敗撮影ですが)載せておきます。
 馬場曲輪[11,12] から下って、丸い小
10物見台解説版さな池の所にでました。月の池[13] です。下からの通路(桟道のある通路よりさらに下の、公園として造られたメイン通路と思われます)ともここで合流しました。そしてこの先が、金山城の一番の見どころ、石垣で覆われた大手虎口[14,15] へと入っていきます。
11馬場曲輪より この大手虎口の石垣が、もちろんこのような形で残っていた訳ではありません。平成になってからの発掘調査で、その後、調査結果をもとに復元整備されたようです。その経緯と、復元整備に対する問題や反対意見に対する回答も含めて、先に述べました太田市
12馬場曲輪を見上げるのホームページに出ていますので、興味のある方は参考にされると良いと思います。
 大手虎口の石畳を上って行くと、井戸(のようなもの)と小屋[16] がありました。小屋は石敷遺構展示施設で、武器庫兼兵の詰所だったとのことですが、
13月ノ池中は見ませんでした。さらに上がると、左に大きな丸い池があります。日の池[17] です。そして右側に広い平なところがあり、そこが休憩所のある南曲輪です。南曲輪に日本100名城の石碑[18] と史跡金山城跡(全図)[19] の立て看板がありました。休憩所に入ると、入口
14大手虎口近くのカウンターテーブルに100名城スタンプが置かれていましたので、それを持って行ったスタンプ帳に押しました。その横に太田市教育委員会の発行した金山城のパンフレットが置いてありましたので、それもゲットしました。でも、誰もいません。なんだか淋しい感
15大手虎口を見下ろすじです。雨が強くなってきたので、しばらくここで雨宿りすることにしました。
 ここまで来る道は、きちんと整備されていたので、雨でも心配するようなことはありませんでした。天気が良ければきっと見晴らしも良いのだろうと思います。でも、これだけ整備された公園に
16石敷き遺構展示施設(武器庫)誰もいないというのが、妙に淋しく、コジューローには違和感のように感じられました。
 雨が収まってきたか、時間が無くなってきたか、その両方だったかは忘れましたが、休憩所を出て、さらに奥へと進みました。日の池を後方左下に見なが
17日ノ池ら登っていくと、上の通路(平らなところ)にでました。後で調べたのですが御台所曲輪というところのようです。右側に小屋があってその先に鳥居があります。実城(みじょう)と呼ばれる本丸は左へ進んだ先にあり、そこに新田神社がありますから、この通路は神社の参
18休憩所前の石碑道でもあるのでしょう。小屋は、事前に調べた地図では池谷商店となっていますが、やはり開いていません。左手実城へと進みます。
 本丸(実城)へ登る階段の手前左側とその奥が、二ノ丸、三の丸となっていたようですが、そちらへは行きませんでし
19休憩所前広場(南曲輪)にあった看板た。実城へ通じる石の階段を登ります。階段の頂上に鳥居[23] があり、新田神社[22] がありました。神社の脇に、史跡金山城跡の石碑[21] と、金山城主系図の書かれた立て看板[20] がありました。
 この系図によりますと、初代城主が
20金山城主系図(本丸にて)新田義重になっていて、その7代後に新田義貞の名前もあります。義重はあの八幡太郎源義家の孫で、新田氏の始祖です。最初の方で述べたように、金山城を築いたのは岩松家純(義貞のひ孫)ですから、この図は歴代城主というよりも、初代城主の岩松家純が由
21金山城碑(本丸にて)緒正しい新田氏の流れであることを示したいのだろうと思うのです。まあ義重の時代から新田氏がこの地に居た事は確かなのですから、こう書きたい気持ちは解りますがねぇ。横瀬氏の代になってからは、由良国繁で終わっていますが、歴代城主と言うならば、由良氏の後に金山城に入った北条氏関係の名前もあってしかるべきかなと思います。(北条氏の時代は誰が金山城主だったんだろう?)
 本丸を後にして、来た道を引き返します。が、来た道は池谷商店のところか
                     ら右に折れ、日の池の方へと下るので
22新田神社(本丸)すが、そこはまっすぐ鳥居の方へと行きました。こちらが参道とすれば、そこを下って下の道へ出られるかも知れないと思ったからです。鳥居の向こうは石の階段でした。下ると細い山道が右手に伸びていました。多分南曲輪の下を回っている道へとつながっているの
23新田神社でしょうけど、あまり足を踏み入れた様子がなく先の状態も分からなかったので、やっぱり引き返すことにしました。石段を上り返し[24] 鳥居をくぐって、もとの池谷商店の所から日の池方面に下って、大手虎口を抜け、月の池の端を通って馬場曲輪の下まで来ました。
24御台所曲輪の南端の鳥居その後ですが、もう一度馬場曲輪へ登って、来た道の通りに引き返したという記憶がないのです。ですから恐らくここから、前に書いた公園として造られたメイン通路を通って下城したのだろうと思います。実はこっちも覚えていません。でも途中で木でつくられた桟道を上に
                     見たような気がしています。
 総合案内板のあるところまで来ました。ここから一般車道を通って、駐車場へと戻りました。

 以上で、金山城登城記は終了です。

 実際に行って来た後で登城記を書いていて、いつも思う事ですが、見落としていたことが沢山あるということ。どうして、行く前にもっと下調べをして行かなかったのかと、悔やんだりもします。でも、行く前にはそれなりには調べて行くんです。ただ調べる内容が、行く前なので実感がなく、‥結
25日本100名城スタンプ17金山城局一度行ってからでないと、何に興味がわくかよく解らないのであります。ですから、出来ればもう一度行くのが良いのでしょう。
 金山城も、出来れば天気の良い日に、もう一度訪れたい城跡です。
 その機会があるかどうかは‥、
 ‥はなはだ?ですが‥。

金山城ルート図

金山城地図



関連記事⇒ 北関東・城跡めぐりのついで旅
         足利氏館(鑁阿寺)



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