2015年12月06日

信州(長野県)/小諸・上田・松代/城めぐりの旅

2015年8月22日(土)23日(日)
 夏、長野県に旅行に行ってきました。ブログに上げよう上げようと思いながら、早年末となってしまいましたが、漸くUP出来ます。
 今回の長野旅行の目的は、長野県にある日本100名城(日本城郭協会認定)の内、まだ100名城スタンプをゲットしていない、小諸城、上田城、松代城に行って、そのスタンプをゲットすることです。小諸城以外の2城は以前にも訪れたことがありますが、その時はまだスタンプラリーが始まっていませんでした。今回3城ゲットすることで、長野県は制覇できます(長野県は全部で5城、他の2城は既にゲット済)。もちろん、お城以外にも観光してきました。海野宿、善光寺、松代散策などです。善光寺は2度目、松代は前回時間がなく散策できなかったのでリベンジです。
00ルートマップ

 では、旅行記を始めます。尚、掲載画像はクリックすると大きく見られます。     

8月22日(土)
01草笛本店/そば定食 午前6時(少し過ぎていたかも)、車で小田原の自宅を出発しました。小田原厚木道路⇒圏央道⇒関越自動車道⇒上信越自動車道と走って、小諸インターチェンジで降り、小諸城址「懐古園」の駐車場に車を入れました。今回初めて圏央道を利用しました。八王子付近で少々渋滞しましたが、都心を走らずに済んだので楽でした。
 小諸城址に入る前に、信州蕎麦の名店「草笛・本店」で腹ごしらえします。11時
02草笛本店(そば屋)前のSL開店の丁度少し前でした。渋滞があったお蔭で、予定より程よく遅れて到着したために、すぐ入ることができました。人気店なのでしょう、開店と同時に既にかなりのお客が入っています。胡麻と黄粉のおはぎがついた、そば定食を食べました。そば美味しかった。
03小諸城 「草笛・本店」の前に、何故かSLが置いてありました。しなの鉄道で使われていた物なのか?小海線で使われていた物なのか?解説がなく分かりませんが、とりあえずパチリ。っと、その写真に解説板らしきものが写ってます。‥その時は気が付かなかったなぁ
 小諸城址は「懐古園」と言う名の公園になっていて、その正門は小諸城の「三の門」です。駐車場から来ると、この三の門の内側に出ます。小諸城大手門は、この三の門を出て、しなの鉄道の下をトンネルでくぐり抜けた先にありますので、先に大手門を見学して、懐古園に戻って小諸城址を見学することにしました。
 小諸城登城記は、別記事でUPします。

04海野宿 「懐古園」駐車場を出て、国道18号線を西(上田方面)へ進みます。次の目的地は上田城ですが、途中、「海野宿」へ寄りました。
 「海野宿」は旧北国街道沿いの宿場で、現在も江戸から明治にかけての家並みが軒を連ねています。…江戸期の
05うだつ「本うだつ」や明治の「袖うだつ」見事な海野格子など、伝統的の意匠が残る。…と、ガイドブックまっぷるに載っていました。うだつ(卯建)とは、民家の妻壁を大屋根より一段高く吐出させて小屋根をつけたもので、防火壁の一種です。富や格の高さを表す意味で「うだつ
06海野宿道標があがる」とか「うだつがあがらぬ」とか言いますよね。
 旧北国街道??コジューローの浅学知識では、北国街道というと越前や加賀を思い浮かべるのですが、どうやら違うらしい。調べてみたら、軽井沢から小諸、上田、長野を通って上越、柏崎へとつながる街道で、善光寺参拝のために整備され善光寺街道とも呼ばれているらしいです。江戸時代、北陸道を北国街道と呼ぶこともあったようなので、コジューローの知識も全くはずれとは言えないでしょうが、旧北国街道と言えばこちらを指すのでしょうね。ちなみにこの道は、日本の道100選に選ばれています。
07白鳥神社 海野宿の入口付近に白鳥神社があります。ここに「木曽義仲挙兵の地」という立札がありました。この地に木曽義仲を中心とする平家討伐軍が集結し、その後倶梨伽羅峠で平家大群を打ち負かして、京の都に上洛を果たしたんですね。思わぬ歴史の現場に自分が立っていることに何だか感動しました。

08上田城 車は国道18号をさらに西へと行きます。上田市内に入って直進で国道141号に入って、間もなく上田城南側の駐車場に到着しました。ここへは以前にも来たことがあります。案内板に櫓下観光駐車場と書かれていますが、かつては尼ヶ淵と呼ばれ千曲川の川岸だったようです。現在の千曲川はもう少し南、北陸新幹線としなの鉄道の線路を隔てた向こう側に流れているようです。車を置いて、歩行者用通路を歩いてぐるっと東側へ回り、二の丸橋から上田城内へと入ります。二の丸橋前の道路を隔てた向こう側に、観光会館があります。上田城の資料が置いてないかと入ってみると、土産物店でした。先に買い物をすると、歩くのに辛いので後でもう一度くることにして、先に上田城へと入ることにしました。
 上田城登城記は、別記事でUPします。

 上田城見学後駐車場に戻り、車で東側の二の丸橋の内側の駐車場へと移動しました。城内に入るときに、ここにも駐車場があることを確認してあったからです。そして観光会館へ買い物に行きました。目当てはお酒です。お酒を持って歩くのは大変なので、こうした訳です。「真田三代」という銘の徳利に入ったお酒と、信州そばを買いました。このお酒、帰ってから幾日か経ってから飲んだのですが、香りが良く、非常に美味しいお酒でした。上田方面に行くことがあったら、また買ってきたいです。

09ホテルやま 上田菅平インターチェンジから再び上信越自動車道にのり、長野へ向かいます。長野インターチェンジで下りて県道35号を北上し国道117号に入って長野市街へと入りました。善光寺の門前ほど近くの「ホテルやま」に着いたのは夕方だったと思います。でもこの時期は午後6時を回っても、まだお日様があるので助かります。ホテルより先に「ホテルやま」の駐車場を見つけたので、先に車を入れました。狭い駐車場でしたが係りの人がいてくれたので助かりました。ホテルは駐車場から数100メートルも先でしたが、キャスターつきの旅行バックでしたので、これも助かりました。
10夕食・やま茶屋 夕食は、ホテル近くの「やま茶屋」という所でした。ホテルと同じ系列の料理屋です。信州サーモンというのが今売出し中とのことで、お刺身やら何やら食べたと思うのですが、写真には写っていません。酔っ払って撮り忘れたのでしょう。信州サーモンというのは、ニジマスと何とかという魚(ブラウントラウト…後で調べました)を人工的に掛け合わせて作った、品種改良魚だそうで、身は見た目全くサーモンです。まあまあ美味しかったかな。
 やや酔っ払っていましたが、善光寺の門前通り(参道)を夜風に当たりながら少し歩いて、コンビニに寄ってからホテルに戻りました。

11朝食・ホテルやま8月23日(日)
 ホテルの朝食。 まあ普通に美味しかったです。 サーモンは普通の塩鮭でした。
 朝食後、善光寺へと出かけました。門前通り(参道)は夜とはまたちょっと違った感じです。広々として気持ちの
12善光寺参道良い通りです。朝なのでまだほとんどお店は開いていません。北野文芸座の建物がちょいと気に入ったので、パチリ。
 交差点を渡って、いよいよお寺の参道らしくなってきました。先ず現れたのが「仁王門」です。
13北野文芸座迫力の仁王像は、高村光雲と米原雲海の合作とのこと。門をくぐり抜け、開店前の仲見世を通り抜けると、でっかい山門に到着。掲げられた善光寺の額は通称「鳩字の額」と呼ばれ、文字の中に鳩が何羽もいるとのことですが、そんなことも知らずにく
14善光寺・仁王門ぐり抜けると、正面にさらにでっかい本堂が鎮座しておられます(お寺に鎮座は使わないかな?)。入るとそこはまるで西洋の大聖堂の様な…高い天井と広いフロアが、コジューローにそんな感じを与えました。以前に来たときは、まだヨーロッパに行く前でしたから、もち
15善光寺・仲見世ろん大聖堂の様とは感じませんでしたが、逆にヨーロッパの寺院で、まるで善光寺の様だとも思わなかったのはなぜでしょう?…まっどうでも良い話です。善光寺は今回で二度目なので、軽くお参りを済ませて本堂を出ました。
 山門まで戻ると、この日、山門内(二
16善光寺・山門階)が公開されていました。前回来たときには入れなかったので、入ってみました。(有料です。)二階からの眺めは、なかなかのものです。パチリ。ここに「鳩字の額」の解答があり、それによってコジューローは善光寺の額が鳩字の額であることを知りました。
17善光寺・本堂 帰りは仲見世のお店が開いていましたので、有名な七味唐辛子を買いました。
 ホテルに戻り、チェックアウト。車で松代へ向かいます。

 国道117号を南下し、犀川を渡って川中島に入り、県道35号に入って八幡原
18善光寺・山門二階より仲見世と仁王門を望む古戦場の横を通り、千曲川を渡って上信越自動車道をくぐると、そこが松代です。今思うと、折角なので八幡原古戦場(川中島古戦場)に、ちょっと寄れば良かったなぁ‥と。でもその時は、道標(案内板)は見かけたけれど、今調べて、そんなに近いとは知らず通り過ぎてしまいました。
19善光寺・山門二階より大勧進を望む(残念やっぱり下調べが大事だなぁ‥
 車を松代城近くの市営駐車場に入れました。ここも前に来た所です。でも前にはすぐ近くに線路があり、踏切を渡ってこの駐車場に入れた覚えがあります。今調べてみたら、かつて長野電鉄屋代線が通っていて、すぐ近くに松代駅がありました。2012年4月1日に廃止され、今は線路もありません。ただ駅舎だけは残っているそうで、今思うと、その駅舎も見ておきたかったなぁ‥と思います。(車で駅舎の前を通ったはずなのですが、覚えていません。やはり下調べが‥
20松代城 線路が無くなったためか、以前より駐車場が広く、松代城の前も広々として、ちょっと感じが変わりました。城跡もあの時より随分整備が進んでいるようです。車を降りて、先ずは松代城へと行きました。
 松代城登城記は別記事でUPします。

 松代城の西側、堀の外の広場に「日本100名城スタンプ設置場所」という所があり、ちゃんと建物まであるのですが、そこに100名城スタンプはありませんでした。代わりに「お散歩マップ」なるA5サイズの紙が置いてあり、そのマップの中に…100名城スタンプの設置場所は「真田邸」に変更になりました…と赤字で印刷されていて、ご丁寧に手書きで、そこまでの道順を示す線が、赤ペンで描かれていました。まあこの後、松代の町を散策する予定でしたから、当然真田邸にも行くつもりでしたので問題ありません。そしてこの場所には100名城とは別のスタンプとスタンプ帳がありました。「松代遊学スタンプ帳」と書いてあります。見ると松代の観光名所10か所のスタンプラリー帳です。これは良いものを見つけました。これから松代を散策するのに、これを基にして他に行きたい所があればそれを加える形にすれば簡単です。早速そこにあった松代城跡のスタンプを押し、そのスタンプ帳を持って次に行くことにしました。
21真田邸 松代城を出て先ず向かったのは、観光案内所です。そこはスタンプラリーとは関係ありませんが、散策マップや資料を手に入れるためには、観光案内所に行くのが通常ベストだからです。一旦市営駐車場に戻り、池田満寿夫美術館の横を通り抜け、出た道を左に少し行った所に松代観光案内所がありました。ここで「信州・松代遊学城下町」というマップ付のパンレットを始め、様々な観光資料をゲット。ここのおばちゃんが親切な人で、資料をまとめる為のビニール袋までくれました。
 観光案内所のすぐ隣が、真田宝物館です。ここで中を見学すると時間がかかりそうなので、遊学スタンプのみゲットして次へ行きました。
 宝物館の隣が真田邸です。遊学スタンプ及び100名城スタンプ(松代城)をゲットして、中を見学しました。
 真田邸を出て、真田公園を抜けます。真田公園には小鹿のバンビの歌
22真田公園・歌碑・小鹿のバンビ碑があって、パチリ。なぜここに小鹿のバンビの歌碑があるのか解りませんでしたが、後で調べてみたら、作詞者の坂口淳が松代町出身とのことで、松代町内では正午を知らせるチャイムに「子鹿のバンビ」のメロディーが流れるとのこと。でもこの日それを聴いた記憶
23樋口家住宅はありません。聞き漏らしたか、忘れたか…。
 真田公園を抜けたほぼ正面に旧樋口家住宅がありました。ここは元松代藩の上級武士の屋敷です。見学して遊学スタンプをゲット。
 次に向かったのは、旧白井家表門で
24旧白井家表門す。この表門は元は別の所(表紫町)に在ったものを平成12年に移設復元したとの事。白井家は元松代藩の中級武士だったとのことです。ここも遊学スタンプゲットです。
 旧白井家表門の道路を隔てた向こう側に、文武学校があります。8代藩主・
25文武学校真田幸貫が佐久間象山らの意見を受けて、蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れた藩校の建設に着手し、9代藩主・真田幸教がその志を受け継ぎ、嘉永6年(1853)に建物が完成し、安政2年(1855)に開校したとのこと。現在も使われているようで、この日も剣術所で何か催されていました。学生時代柔道をやっていたコジューローは、実際に柔術所に上がって見ました。文学所、弓術所は建物の外から見学、槍術所は工事中でした。入口の番所で遊学スタンプをゲット。
26かじや・長芋料理 ここまで見学して市営駐車場に戻り、車で移動します。松代町内には食物屋らしいところが、ほとんど見当たりません。ガイドブック(まっぷる)に唯一載っていた「かじや」という長芋料理の店に行き、そこで昼食を取りました。長芋懐石といった感じの創作料理で、長芋スープ、長芋そうめん等いろいろな長芋料理を食べました。美味しかったです。そうそうここでもあの信州サーモンが料理の中にありました。
 また車で移動。次に行ったのは長国寺です。ここは真田家の菩提寺で、真田歴代藩主の墓及び信之、信弘の御霊屋があります。信之の御霊屋
27長国寺の破風には左甚五郎作の鶴があり、この鶴には鎖につながれた理由を述べた民話があり、門前の立札に書かれていました。残念ながら御霊屋の見学は出来ません(要予約とのこと)でしたが、本堂は六文銭と鯱鉾のついたお寺にしては変わった意匠で、真田らしいと感じました。長国寺は遊学スタンプラリーに入っていませんので、スタンプはなしです。
 長国寺を出て次に向かったのは、
28旧前島家住宅旧前島家住宅。前島家は初代民部左衛門一宗以来、上田・松代で代々真田家に仕えた家系。二代左衛門一之は、関ケ原戦の後、真田昌幸・幸村の高野山蟄居の際これに従った16人の家臣の中の一人ですが、昌幸の死去後は上田に帰り信之(幸村の兄)に仕えました。真田家と共に松代に移っています。松代町にある旧武家屋敷の中では、建物がしっかりと丁寧に作られているとのこと。それは、この家が作られた後、松代藩に「倹約令」が出されたためとのことです。2006年に県宝に指定されています。実はコジューローは現代に続く前島家の方と友人を通じて間接的に繋がりがあったので、少々興味があり、他に比べてじっくりと見学させて頂きました。
29象山記念館 車で象山記念館へと移動します。記念館の受付で、「ここを見学した後、象山地下壕に行くので、車を置かせて欲しい。」と頼むと、「ならば、先に地下壕へ行った方が良いですよ。車はここに置いて行けば良いし、記念館は戻ってから見学すれば良いでしょう。」とのこと。地下壕の入壕時間は午後4時まで、最終入壕は午後3時30分までで、時間が迫っていました。親切な対応にお礼を述べ、すぐに記念館を出て歩いて象山地下壕へと向かいました。途中山寺常山邸の前を通ります。ここにも遊学スタンプがありますが押すのは帰りにして、地下壕へと急ぎます。
30象山地下壕 松代象山地下壕は、大東亜戦争末期、本土決戦最後の拠点として、極秘で、大本営及び政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日までの間建設され、突貫工事で全行程の約8割までが完成したとのことです。地下壕は、出来る限り当時の状態のまま保存しているとのこと。入壕にはヘルメットの着用が義務付けられています。入口近くに沢山置かれているヘルメットの一つを着用し、早速壕内に入りました。総延長583.6mの内、見学できるのは約500mですが、それでも深く長いトンネルです。枝壕が沢山あり、断面図を見ると、将棋盤のマスを少し引き延ばしたような感じに掘られていることが分かります。コジューローは以前行った足尾銅山の坑道を思い出しました。
 地下壕を出て、来た道を象山記念館に向かいます。途中山寺常山邸で遊学スタンプをゲット。ここでは何かの
31山寺常山邸イベントが催されていたようで、大勢の人が何やら忙しそうに片付けをしていましたので、スタンプを押してさっさと出ました。日も大分傾いてきています。
 象山記念館に戻ると、ともかく遊学スタンプを押して、そして中の展示を見学しました。と、先ほどの親切な係員さんが来て、「旧横田家にも行きますか?でしたらもう出ないと時間がありませんよ。」と、わざわざ知らせてくれました。コレラ意見書、砲学図編、電気治療器など興味深い展示があり、もう少しゆっくり見たかったのですが、ざっと見て出ることにしました。記念館を出るとき、先ほどの係員さんが「あちらに今から行くと電話しておきましたので、どうぞ。」と声をかけてくれました。なんて親切なんで
32旧横田家しょう。まあ閉館時刻が迫っていましたし、お客が居なければ閉めてしまうのかも知れませんから…という気遣いなのでしょう。そういえば、日曜日なのに松代の町の中に観光客らしい人をあまり見かけませんでした。観光地としてはややさびしい。
 車で旧横田家住宅へと移動しました。遊学スタンプゲット。これで10か所すべてのスタンプをゲットしました。横田家の受付でそれを見せ、景品
35松代遊学スタンプラリー景品を受け取りました。景品は真田宝物館のシールでした。
 横田家も旧松代藩の中級武士の家です。昭和61年に重要文化財にしてされています。維新後、この家で育った横田秀雄は大審院長に、その子正俊は最高裁判所長官になり、二代続いて裁判官の最高の地位についたとのこと。また、秀雄の弟・小松健次郎は鉄道大臣になり、姉・和田英は「富岡日記」の著者として有名になるなど、多くの秀才を生んだ家だということです。
横田家前の駐車場に「和田英と旧横田
34松代遊学スタンプ家」という立て看板があり、和田英が富岡製糸場の伝習工女だったことが書かれています。ついこの間NHK大河「花燃ゆ」で富岡製糸場をやっていたので、感慨深く思いました。

 これで松代散策は
33松代遊学(散策)地図終わりです。時刻は午後5時(旧横田家住宅の閉館時刻が午後5時なので、間違いないでしょう。)。旅の目的も全て果たしました。これより小田原の自宅へ帰ります。帰路は、長野インターチェンジから上信越自動車道⇒長野自動車道⇒中央高速自動車道で大月ジャンクションから富士五湖道路⇒東名高速、大井松田インターチェンジから小田原へという順です。自宅に着いたのは午後10時ごろだったでしょうか。途中休憩を入れながらの運転でしたが、流石に疲れました。

以上で「信州(長野県)/小諸・上田・松代/城めぐりの旅」終了です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(…さあ、お城記事も頑張るぞ…) 

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