● 関東・甲信越 の城
2016年01月23日
2016年01月16日
2016年01月09日
小諸城
登城日2015年8月22日 ↓今回の登城ルート図
昨年の夏に行った小諸城、漸く記事上げ出来ました。
因みにその時の旅行記事はこちら↓
信州(長野県)/小諸・上田・松代/城めぐりの旅
では、早速「小諸城」へと参りましょう。
尚、画像はクリックすると大きく見ることが出来ます。 続きを読む
昨年の夏に行った小諸城、漸く記事上げ出来ました。
因みにその時の旅行記事はこちら↓
信州(長野県)/小諸・上田・松代/城めぐりの旅
では、早速「小諸城」へと参りましょう。
尚、画像はクリックすると大きく見ることが出来ます。 続きを読む
2015年07月03日
水戸城
登城日2015年5月16日 ↓ 水戸弘道館1
水戸城へは、先にUPした佐倉城と同じ日に行きました。佐倉を出たのが、予定を大きく遅れて午後2時を回っていたでしょうか。柏ICまでの一般道が混んでいて、常磐自動車道に乗ってからは比較的スムーズに行けたものの、水戸弘道館横の駐車場に着いたのは、閉館(午後5時)間際でした。 (写真クリック⇒大)
その時の旅行記事はこちら ⇒ 東関東・城跡と神社めぐりの旅
続きを読む
水戸城へは、先にUPした佐倉城と同じ日に行きました。佐倉を出たのが、予定を大きく遅れて午後2時を回っていたでしょうか。柏ICまでの一般道が混んでいて、常磐自動車道に乗ってからは比較的スムーズに行けたものの、水戸弘道館横の駐車場に着いたのは、閉館(午後5時)間際でした。 (写真クリック⇒大)
その時の旅行記事はこちら ⇒ 東関東・城跡と神社めぐりの旅
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2015年06月07日
佐倉城
登城日2015年5月16日
久々のお城記事です。3年前、八王 ↓ 佐倉城址公園センター
子城の記事を書いて以来ですから本当に久々ですが、今回の佐倉城までの間にも。多くのお城、城跡に行きました。本来ならば順番に記事にしていくべき所なのですが、いろいろ大変なこともあって、先日行って来たばかりの千葉の佐倉城をUP致します。
(写真はクリックすると大きく見られます)
その時の旅行記事はこちら ⇒ 東関東・城跡と神社めぐりの旅
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久々のお城記事です。3年前、八王 ↓ 佐倉城址公園センター
子城の記事を書いて以来ですから本当に久々ですが、今回の佐倉城までの間にも。多くのお城、城跡に行きました。本来ならば順番に記事にしていくべき所なのですが、いろいろ大変なこともあって、先日行って来たばかりの千葉の佐倉城をUP致します。
(写真はクリックすると大きく見られます)
その時の旅行記事はこちら ⇒ 東関東・城跡と神社めぐりの旅
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2012年05月28日
八王子城
登城日2009年11月8日
八王子城に行ったのはいつだったかなと100名城スタンプの日付を見たら、あの北関東の城めぐりの直ぐ後だったので驚きました。なぜ驚いたのかと言いますと、最近は城を見に旅行にでることがなかなか出来ず、少々欲求不満ぎみなのに、あのころは、ひょいと出かけていたんだなあと思ったからです。まあ、八王子城は北関東シリーズに入れても‥と言いますか続きのようなものですから、間を開けずに行ったのでしょう。 続きを読む
八王子城に行ったのはいつだったかなと100名城スタンプの日付を見たら、あの北関東の城めぐりの直ぐ後だったので驚きました。なぜ驚いたのかと言いますと、最近は城を見に旅行にでることがなかなか出来ず、少々欲求不満ぎみなのに、あのころは、ひょいと出かけていたんだなあと思ったからです。まあ、八王子城は北関東シリーズに入れても‥と言いますか続きのようなものですから、間を開けずに行ったのでしょう。 続きを読む
2012年01月27日
2011年12月12日
2011年11月19日
箕輪城
登城日2009年10月27日
2009年秋、「北関東・城跡めぐりのついで旅」で訪れた3つ目のお城(城跡)が箕輪城です。今回は、その箕輪城を記事にします。
関連記事⇒北関東・城跡めぐりのついで旅 足利氏館 金山城
前日、足利氏館と金山城を見学した後、伊香保温泉に一泊して、この日は榛名湖を経由して山を下り、箕輪城跡へとやってきました。箕輪城は、群馬県高崎市、榛名山の麓にあります。
ラストに地図を載せておきましたので、ご参照のほど。 尚、いつもの事ですが、掲載画像はポインターを当てますと名称が現れ、クリックすると大きく見れます。 続きを読む
2009年秋、「北関東・城跡めぐりのついで旅」で訪れた3つ目のお城(城跡)が箕輪城です。今回は、その箕輪城を記事にします。
関連記事⇒北関東・城跡めぐりのついで旅 足利氏館 金山城
前日、足利氏館と金山城を見学した後、伊香保温泉に一泊して、この日は榛名湖を経由して山を下り、箕輪城跡へとやってきました。箕輪城は、群馬県高崎市、榛名山の麓にあります。
ラストに地図を載せておきましたので、ご参照のほど。 尚、いつもの事ですが、掲載画像はポインターを当てますと名称が現れ、クリックすると大きく見れます。 続きを読む
2011年11月07日
金山城
登城日2009年10月26日
金山城へは、先日UPした足利氏館と同じ日に行きました。金山城は、群馬県太田市にありますが、足利氏館のある栃木県足利市とはお隣りどうしで、城と館は10Kmと離れていません。
関連記事⇒北関東・城跡めぐりのついで旅
金山城は、太田・金山城とか新田・金山城と呼ばれることもあります。金山城と名の付く城は全国に複数あるようで、それらと区別するために用いるようです。新田・金山城と呼ばれる通り、この城は新田氏が築いた城です。新田と足利と言えば、新田義貞と足利尊氏が超有名ですね。この二
人が鎌倉幕府を滅ぼしたといっても過言ではないでしょう。義貞が鎌倉幕府本拠の鎌倉を、尊氏が京の鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を、同時に攻め滅ぼしました。 続きを読む
金山城へは、先日UPした足利氏館と同じ日に行きました。金山城は、群馬県太田市にありますが、足利氏館のある栃木県足利市とはお隣りどうしで、城と館は10Kmと離れていません。
関連記事⇒北関東・城跡めぐりのついで旅
金山城は、太田・金山城とか新田・金山城と呼ばれることもあります。金山城と名の付く城は全国に複数あるようで、それらと区別するために用いるようです。新田・金山城と呼ばれる通り、この城は新田氏が築いた城です。新田と足利と言えば、新田義貞と足利尊氏が超有名ですね。この二
人が鎌倉幕府を滅ぼしたといっても過言ではないでしょう。義貞が鎌倉幕府本拠の鎌倉を、尊氏が京の鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を、同時に攻め滅ぼしました。 続きを読む
2011年10月23日
足利氏館(鑁阿寺)
登城日:2009年10月26日(月)
久々にお城記事を書きます。今回は足利氏館です。登城したのは見ての通り、丸2年前になります。北関東に日本100名城めぐり旅行をしたときのことで、その旅行記事はだいぶ前にUPしました。
その記事はこちら⇒北関東・城跡めぐりのついで旅
足利氏館は、栃木県足利市内にあり、現在は、鑁阿寺(ばんなじ)というお寺になっています。武家館跡なのでお城というイメージではないのです
が、四角く囲んだ堀と土塁がそのまま残っています。また、お寺の建物には国の重要文化財がいくつもあって、こちらも見ものです。武家館跡で日本100名城に入っているのは、この足利氏館と山梨の武田氏館の2つだけのようですね。 続きを読む
久々にお城記事を書きます。今回は足利氏館です。登城したのは見ての通り、丸2年前になります。北関東に日本100名城めぐり旅行をしたときのことで、その旅行記事はだいぶ前にUPしました。
その記事はこちら⇒北関東・城跡めぐりのついで旅
足利氏館は、栃木県足利市内にあり、現在は、鑁阿寺(ばんなじ)というお寺になっています。武家館跡なのでお城というイメージではないのです
が、四角く囲んだ堀と土塁がそのまま残っています。また、お寺の建物には国の重要文化財がいくつもあって、こちらも見ものです。武家館跡で日本100名城に入っているのは、この足利氏館と山梨の武田氏館の2つだけのようですね。 続きを読む
2009年04月19日
江戸城
江戸という地名は、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に初めて登場しますので、おそらく平安後期に発生した地名なのでしょう。意味は大河の河口ですから、かつて東京湾に注いでいた利根川の河口ということでしょう。
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2009年04月18日
2009年04月16日
2009年04月14日
江戸城 (その1)
お城記事、今回は徳川将軍の居城「江戸城」です。
現在は天皇陛下のお住まいであらせられるため、めったに立ち入ることは出来ません。
でも立ち入れないのは御所のある西の丸のみで、徳川時代の本丸、二の丸、三の丸のある皇居東御苑は、一部を除いて一般開放されていますし、日本武道館や科学技術館のある北の丸と皇居外苑は公園となっています。
ということで、4月12日登城してきました。
では、その日のコジューローのルートと写真でご紹介します。
東京駅丸の内口を出たのが、ほぼ正午。丸ビルの前を歩いて和田倉門交差点を渡ると、もうお堀です。正面遥か向こうに皇居正門の石橋と、その向こうに伏見櫓がみえます。
ここから左に馬場先濠沿いに歩き、馬場先門跡から皇居外苑に入りました。 楠正成公の銅像の写真を撮っていたら、二人連れに英語で話しかけられました。日本人に見えたのですが、外国人の観光客のようです。
銅像をバックに写真を撮ってほしいと、有無を言わさずカメラを渡されま
した。
注意してあたりを見ると外国人が大変多く、日本人だと思っても言葉が日本語でないので外国人なのです。
なるほど、ここは国際的観光地なのだな、さもありなんと感じました。
ここ楠公の休憩所で100名城スタンプを押し、次へと向かいます。
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現在は天皇陛下のお住まいであらせられるため、めったに立ち入ることは出来ません。
でも立ち入れないのは御所のある西の丸のみで、徳川時代の本丸、二の丸、三の丸のある皇居東御苑は、一部を除いて一般開放されていますし、日本武道館や科学技術館のある北の丸と皇居外苑は公園となっています。
ということで、4月12日登城してきました。
では、その日のコジューローのルートと写真でご紹介します。
東京駅丸の内口を出たのが、ほぼ正午。丸ビルの前を歩いて和田倉門交差点を渡ると、もうお堀です。正面遥か向こうに皇居正門の石橋と、その向こうに伏見櫓がみえます。
ここから左に馬場先濠沿いに歩き、馬場先門跡から皇居外苑に入りました。 楠正成公の銅像の写真を撮っていたら、二人連れに英語で話しかけられました。日本人に見えたのですが、外国人の観光客のようです。
銅像をバックに写真を撮ってほしいと、有無を言わさずカメラを渡されま
した。
注意してあたりを見ると外国人が大変多く、日本人だと思っても言葉が日本語でないので外国人なのです。
なるほど、ここは国際的観光地なのだな、さもありなんと感じました。
ここ楠公の休憩所で100名城スタンプを押し、次へと向かいます。
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2009年04月10日
甲府城
お城記事、前回の武田氏館に続き、同日登城しました「甲府城」です。
山梨県、甲斐の国というと武田信玄があまりにも有名で、この城も武田氏のお城かというとさにあらず。
甲府城は、武田氏滅亡の後、豊臣政権の重臣浅野長政らによって武田氏館に代わる城として築城されました。
甲府城は別名、甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。
←鍛冶曲輪水堀と遊亀橋
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山梨県、甲斐の国というと武田信玄があまりにも有名で、この城も武田氏のお城かというとさにあらず。
甲府城は、武田氏滅亡の後、豊臣政権の重臣浅野長政らによって武田氏館に代わる城として築城されました。
甲府城は別名、甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。
←鍛冶曲輪水堀と遊亀橋
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2009年04月07日
武田氏館(躑躅ヶ崎館)
この所のお城記事UPで、行ったのにUPし忘れていたお城を思い出しました。
昨年11月、もみじ狩りを兼ねて山梨県甲府に行きました。
昇仙峡の紅葉を見た後、武田氏館と甲府城へ行きました。
今回はその武田氏館です。
武田氏館は別名 躑躅ヶ崎館(つつじが
↓水堀と武田神社入り口 さきやかた)ともいいます。
武田信玄をよく知っている人は、躑躅ヶ崎館という名前の方が馴染みがあるでしょう。
コジューローは武田節という歌で知っています。
♪つ〜つじ〜が〜崎の〜、月(つき)〜さやか〜〜♪
続きを読む
昨年11月、もみじ狩りを兼ねて山梨県甲府に行きました。
昇仙峡の紅葉を見た後、武田氏館と甲府城へ行きました。
今回はその武田氏館です。
武田氏館は別名 躑躅ヶ崎館(つつじが
↓水堀と武田神社入り口 さきやかた)ともいいます。
武田信玄をよく知っている人は、躑躅ヶ崎館という名前の方が馴染みがあるでしょう。
コジューローは武田節という歌で知っています。
♪つ〜つじ〜が〜崎の〜、月(つき)〜さやか〜〜♪
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2009年04月05日
「日本100名城」小田原城スタンプ
日本城郭協会指定の「日本100名城」スタンプです。
地元小田原城のスタンプは、だいぶ前にとっていたのですが、ブログに載せ忘れていました。
馬出門の記事をUPしたので、忘れないうちにこちらも載せておきます。
(ちょっと押し方ヘタクソですが‥)
スタンプだけでは淋しいので、お城の写真も1枚。
ゾウの居るお城です。
先日、馬出門を見に行った時に、お城の保存会か何かの団体さんがいまして、説明をなさっていた方が、小田原城の史跡管理について苦言を言っていました。(恥とまでいっていました。ヤヤムカ‥)
本丸にゾウが居るなんて、あの人たちには許せないでしょうねえ。
コジューローはこの町で育ったので、愛着もありますが‥。
地元小田原城のスタンプは、だいぶ前にとっていたのですが、ブログに載せ忘れていました。
馬出門の記事をUPしたので、忘れないうちにこちらも載せておきます。
(ちょっと押し方ヘタクソですが‥)
スタンプだけでは淋しいので、お城の写真も1枚。
ゾウの居るお城です。
先日、馬出門を見に行った時に、お城の保存会か何かの団体さんがいまして、説明をなさっていた方が、小田原城の史跡管理について苦言を言っていました。(恥とまでいっていました。ヤヤムカ‥)
本丸にゾウが居るなんて、あの人たちには許せないでしょうねえ。
コジューローはこの町で育ったので、愛着もありますが‥。
2009年04月02日
小田原城馬出門完成
一昨年より工事していました小田原城馬出門ですが、ようやく完成し先日3月29日、一般公開となりました。
小田原城は、三の丸から二の丸へ入る途中、馬出郭というのがあり、堀を渡って枡形の馬出門を通り馬出郭に入ります。
今までは隅櫓しかなかったお堀の景観も変りました。
隅櫓
←
続きを読む
小田原城は、三の丸から二の丸へ入る途中、馬出郭というのがあり、堀を渡って枡形の馬出門を通り馬出郭に入ります。
今までは隅櫓しかなかったお堀の景観も変りました。
隅櫓
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2008年02月18日
小田原城
我が街のお城、相州小田原城です。
小田原城は15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身です。
その後戦国大名北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されていきました。
豊臣秀吉の小田原攻めの時、城下町を囲む延長9Kmに及ぶ総構えとなり、最大規模となります。
北条氏滅亡後は、城は改修され近代城郭の姿になります。
大久保氏、稲葉氏など、徳川家の家臣が城主を勤め、幕末に至ります。
明治3年、廃城となり解体されましたが、昭和35年に天守閣が復興されました。
国指定史跡に指定され、今も整備が続けられています。
小田原城天守閣
江戸時代に造られた雛型や引き図を素に復興された、
3重4階、鉄筋コンクリートのお城です。
(昭和35年復興)
常盤木門(ときわぎもん)
小田原城本丸の正門です。
(昭和46年復興)
銅門(あかがねもん)
二の丸の正門です。
名の由来となった銅板の装飾が映えます。
(平成9年復興)
小田原城は15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身です。
その後戦国大名北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されていきました。
豊臣秀吉の小田原攻めの時、城下町を囲む延長9Kmに及ぶ総構えとなり、最大規模となります。
北条氏滅亡後は、城は改修され近代城郭の姿になります。
大久保氏、稲葉氏など、徳川家の家臣が城主を勤め、幕末に至ります。
明治3年、廃城となり解体されましたが、昭和35年に天守閣が復興されました。
国指定史跡に指定され、今も整備が続けられています。
小田原城天守閣
江戸時代に造られた雛型や引き図を素に復興された、
3重4階、鉄筋コンクリートのお城です。
(昭和35年復興)
常盤木門(ときわぎもん)
小田原城本丸の正門です。
(昭和46年復興)
銅門(あかがねもん)
二の丸の正門です。
名の由来となった銅板の装飾が映えます。
(平成9年復興)